ナーダの国へ難破漂着す

遠くに、石壁の崩れた蔭の向こうに、人影のごときものが動くのが感じられた。やがてその影は、人の姿となり、女性の姿となって、石壁の向こうをゆっくりと歩いているのが見えて来た。

ぼくは震える足を縺れさせ、転がるように、倒れるようにして、その方へと歩いて行った。急ごうにも、足は心を裏切り、心のままにならず、土からできているごとく、ぼくを下の石床に繋ぎ留めようとした。

三つ目の角を曲がった途端、目の前に一人の女性が現れた。それは実に突然の出現であった。ぼくが驚いた以上に女性も驚いたようであった。ぼくの存在に気が付いて、ぼくの方に向かって近づいて来たのではなく、ただ何かの用事があって、こちらに向かっていたごとくであった。

女性は白いサーリーのごとき長衣をふわりと纏い、黒い長い髪の毛に、オレンジ色のヘアバンドを締め、そこに蘭の花のごときものを挿している。深々と黒い目、白い頬、秀でた額、若いのに落ち着きじっと見つめるその目、その顔、その面差しは澄んだ底の知れない清艶さを漲らせている。

しかも不思議なことに、長い、緩やかな長衣そのものが、風を受けた訳でもないのにふわりと揺れると、そのままで、長衣はかすかに薄れ、すっと消えて行き、その下の内部の肉体を浮き立たせ、白いしなやかな絶世の肉体をほおっとかいま見せるごとくであった。

しかも、それは女性の意志でそうしているのではなく、長衣そのものの変化自在な、言わば、有無自在な、瞬時の変幻力によるものであるごとく、女性はそのことに気づくこともなく、ぼくをじっと見つめ尽くすばかりであった。

さらに驚きはそれだけではなかった。その先があって、ぼくを不可思議な夢幻境に連れ去ったのだ。時に長衣が消え去り、見えなくなり、裸の女性の肉体のままになるだけではなく、やがて、女性の肉体そのものさえ、長衣の消えるに連れて、見えなくなり、消え失せているごとき瞬間があることだった。それはすうっと消えて行き、やがてまたかすかに見え始め、姿を見せるのであった。

しかし、そこからは得も言われぬ香りを放っているのが感じられ、若い女性の姿の神出鬼没にかかわりなく、漂っていた。もしかしたら、先刻嗅いだ匂いはこの女性の肉体から放たれ、漂い来たったものではないか。白い、濃密な花の匂い。目の前の存在は、清艶なる蘭の花の精のごときものなのか。

思わず深呼吸をする。途端に花の匂いは、気管を通り、肺を通り、血液に沁み込み、瞬く間に体全体に隈なく沁み渡って行くのが感じられる。

いや、むしろ、目の前の女性の姿は、その瞬間徐々に透明に薄れ、霞んで行くごとく、白い衣そのものも、ふわりと胸の辺りから揺れてこちらに持ち上げられ吸い寄せられるがごとき、そして、もっと激しく深呼吸をしたならば、白い衣ごと、その姿全体は、まるでアラジンの魔法のランプのごとく、ぼくの鼻の中へと吸い込まれて行くのではないかとおののかれた。