修作がこの作業場を借りたのは、あの震災の翌日だったから、かれこれ十年になる。

週末の休みになるときまってここにやってきて、一日のほとんどを過ごす。

窓辺に座り池を眺めていると、いつもさまざまな追想へと誘われてしまう。向こう岸へぼんやり目を据えれば、自分の罪と罰の彼岸を見ているような……また時には座ったまま眠りこけ、浅い夢を見て、ハッと気づけば小一時間たっていることもしばしばだ。あわてて制作をねぼけたままはじめることになる。羽虫のつくる波紋のように記憶が同心円を描くように拡がり胸に打ちよせ、迫ってくる。

暖房も冷房もない小屋は、夏は焼けるように暑く、冬は手足を凍えさせながら、細々と創作を続けてきた。

美大を出ても続ける人は数少ない。美術では食えないからだ。美大を出ていない修作がいまだに続けている。

やはりどうしてもいつか自分の求める美に出会いたいから、やめることはできない。と同時にそれは、まだ見たことのない自分に出会いたい衝動でもあった。

いや、これでも根はピュアな修作は、そんな堅苦しいことではなく、単純に思春期にはじめて恋したけれど、意気地なさで、つかむことのできなかった女性から、生涯美術を続けていってほしい、と長い手紙を貰ったためだ。

はじめての個展にきてくれたが、会えなかった。

後日、修作が送ったお礼の手紙への返信にそう書かれていた。

しかし、手紙の最後には、修作の知らない誰かに嫁いでいく、と結ばれてもいた。

※本記事は、2022年8月刊行の書籍『ノスタルジア』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。