「ちょっと待って。間違えてないです」

高倉豊の言葉に反応して、女性は身体の向きを彼の方に戻した。

「やっぱりそうだったんやね。憶えてくれているんかな。江藤詩織です」

彼女はそう言って、自分の手の甲に掌を重ねてから会釈した。

高倉豊は言葉が出ずに、表情を強張らせた。中学時代に思い焦がれた同級生で、少しでもいいから話したいと願っていた相手だったが、実際はほとんど話すことなく卒業し、それ以来一度も会っていなかった。だから江藤詩織に声を掛けられたところで、何と応えたらいいのか高倉豊には全く分からなかったのだ。

彼は落ち着きがなくなり、その場で控え目に足踏みを繰り返すことしか出来なかった。いつも刑事である自分を意識して、威厳を保つように心掛けている高倉豊にとって、その動きは失態と言って良かったが、有り難いことに薄暗がりの中では、江藤詩織にははっきりとは見えないはずだった。そしてそのことに直ぐに気付いた彼は、江藤詩織を犯人だと思い込むようにと自分に言い聞かせた。

しかし失敗したという思いは、簡単には拭い去ることは出来なかった。そのため、「お久し振りです」と言った高倉豊の声は上擦っていた。そうなった時点でこれからどのような会話になろうとも、江藤詩織が主導権を握ることは間違いないと言えた。

「今お仕事で戻ってるの? 続けて事件が起こるなんて。刑事さんでしょう? 」

江藤詩織は七月二十三日の朝に、赤穂市加里屋の赤穂港で、赤穂市保険センターに勤務している女性が、遺体で見付かった事件のことと、中原純子の事件のことを言っているのだ。

「事件のことが気掛かりなら、じきに解決すると思うで。新聞には目撃情報がなくて、有力な手懸かりが見付かっていないって書いてあるけど、或る程度見当は付いとるはずや。捜査本部の人間から聞いた訳ではないけどな」

「そうなん? 特に気に掛かってる訳やないんやけど、赤穂で大きな事件が立て続けに起こるなんて」

「相生でも殺人事件があったし、俺たちの子供の頃のような、のどかな生活が当たり前っていう時代ではなくなっているもんな。凶悪事件ではなくても、詐欺の被害は都会も田舎も関係なく起こっとるしな」

「嫌な時代になったもんやね」

「本当にね」

「綺麗な花火だったね」

江藤詩織は唐突に話題を変えた。

「ここの花火を見たのは、高校のとき以来やな。大学が出来て、少し町並みは変わっても、花火は変わらんね」

不自然な会話の流れではあったけれど、高倉豊は比較的円滑にその話に乗ることが出来た。江藤詩織に嫌われたくないという思いから、出来る限り明るく振る舞っていた御蔭でもあるかも知れない。そしてその心構えが、思いの外彼を饒舌にさせていた。

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※本記事は、2021年8月刊行の書籍『天上に咲く赤い花』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。