叱咤激励よりも「信じて期待する気持ち」が人を成長させる理由

知的にやんちゃな少年たれ

2022年1月理系プログレスコース森雄一朗

プログレスコース担当の森です。私が物理に興味を持つきっかけは何だったのか? というとこれは難しいものですが、ひとまずは、両親の影響が大きかったと思います。

私もそうですが、物理学科の知人友人や研究室の同僚と話をしていても、物理への興味の第一歩は「宇宙」になることが多いです。その点からすれば、両親の興味として、幼少期からテレビの科学系の番組や、科学館、そこに併設されたプラネタリウムなどに触れられたのは大きかったでしょう。

ただ、やはりそれらのものを「見るだけ」では何も身につかないというのが私の感想です。本当に大事だったのは、知識を身につけることにつながる経験の数々だったと思います。そのような経験が、物理に興味を持つ背景にありました。

では、知識を身につけることにつながる経験は、どのようにして手に入れたのでしょうか? とあるところで家庭教師をする機会があって、物理や数学が苦手だという生徒を見ていて思ったのは「大人しい」ことです。話を聞くのは下手ではないですし、中学時代は成績が良かったといいます。しかし、高校でうまくいかなくなりました。

結論から言えば、話を聞くだけでなんとかなる状況が終わったのが原因です。手を動かし、頭を使って試行錯誤をしていないのです。その経験が圧倒的に不足していました。物理や数学も含めて、学問で理解を進めていく過程には、やはり試行錯誤の繰り返しが必要です。理数系科目になぜそれが必要なのでしょうか。

一つの答えは、数学が実は言語と同じようなものだというところにあります。物理であったり、数学でも文章題を扱っていく中で感じて欲しい点ですが、数式というのは、言語表現での「文」であり、それを使って置かれている状況を表すものです。状況を把握して、それを表す式を正しく書く。そこにはじまります。

そして、一度正しく式を書ければ、あとは数学の世界で知られた知識を使って「式変形」をして答えを見つけていきます。式変形は普段の言語に例えるなら、話を広げていくこと、といってもいいかもしれません。

いずれにせよ、言語のようなものです。言語を得意になるには使うよりほかありません。赤ちゃんが成長して一人前に言葉を操れるようになる過程では、何度でも間違いを重ねながら、しかし言葉を使わざるを得ない状況がそこにあって、その間違いを重ねる中で答えを見つけていくのです。それと同じことです。