鉄の街には故郷室蘭と同様、どの街にも大きな飲食店街があり、大分にも都町という華やかな繁華街があった。六時、再度会社を訪ねると丁度シャッターがガラガラと降り始めていて外で社長と専務が私を待っていてくれた。さあ、案内しようと言いながら都町の大通りの中央を歩き始めると行きすぎる人たちは皆社長に挨拶するではないか。

あとで知ったがその会社は製鉄所建設時に急成長した著名な企業であり、また都町の入り口に関所のようにどんと構えていてその町の発展にも多大な貢献をしたとのことであった。

さて、私は大通りの横道に入った奥にあるフグ専門割烹に案内され、関サバ同様豊後水道の有名魚であるフグ料理を堪能させてもらったが、その盛り方食べ方は私の通念では考えられない豪勢なものであった。

それから十数年経った二〇一六年、熊本地震でその裏側に位置する大分にも大きな被害があったと報道されていた。お見舞いの電話をすると、大分の会社からほど近い別府温泉に住んでいた社長は山の地鳴りが恐ろしく眠れぬ夜が続いているとのことであった。

私は旨い酒飲んで元気出して下さいとメッセージを付けて銘酒を贈るとすぐに、久しぶりにフグを喰いに来てくれとの連絡が入り大分に飛んだ。

今度はあのフグ割烹で二人だけの差しでの飲み会となったが最初に齢の話になったので私の生まれた年、昭和十六年四月と言うと社長は驚き自分は同じ年の一月だから兄貴になると言い出し、自動的に私は弟分となってしまった。更に、私は既に兄を失っていて一方、社長は男兄弟がいないこと、また私の名前は明廣で社長は敏昭であり、アキの語呂合わせの理由をつけてごく自然に盃で義兄弟の契りを交わすことになってしまった。それからがこれまでの酒盛りで最も長い夜となった。

※本記事は、2022年2月刊行の書籍『居酒屋 千夜一夜物語』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。