詩人・小説家Louis Aragon

ルイ・アラゴン 1897.10.3 パリ─ 1982.12.24

 

パリフランス第三共和政での国会議員で、パリ警視庁長官を務めたルイ・アンドリューの私生児としてパリに生まれたルイ・アラゴンは、医学生の時に第一次世界大戦により軍に動員されたヴァル=ド=グラース陸軍病院でアンドレ・ブルトンと出会います。

ブルトンと共鳴したアラゴンはパリ6区のアドリエンヌ・モニエの「本の友の家」に集う仲間となり、パリ・ダダイズムそしてシュルレアリスム運動の中心人物となってゆきます。

第一次世界大戦後の狂騒の時代、パリのシャンゼリゼ劇場で、セルジュ・ド・ディアギレフのロシア・バレエ『牝鹿』パリ初演となるガラ公演での第一幕が盛大なカーテンコールで降りた後の休憩時間に、アラゴンは、ローズ色のドレープの「ティンパニーモデル」と言われる美しいニコル・グルーがデザインしたドレスを着た、このバレエの舞台装置と衣装担当であったマリーに称賛を贈ります。

社会主義に情熱を燃やしていたアラゴンは、1928年、付き合っていたナンシー・キュナードとの別離によりヴェニスで自殺未遂を起こします。

第二次世界大戦では軍医補としてベルギー戦線へ動員されますが敗走し、1939年5月25日ダンケルクに着き、この時の経験で詩『ダンケルクの夜』を書き、パリに戻ってからはレジスタンス活動をしたアラゴンは、1982年のクリスマスイヴにパリ7区でこの世を去りました。

※本記事は、2022年7月刊行の書籍『マリー・ローランサンとその仲間たち』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。