先生が子どもたちを幸せにすることはできない?

学校の先生の仕事は授業の他にもう1つあって、それが声がけです。どう声をかけるか。いつ声をかけるかを考え、実行することが先生の使命です。指名ではないですよ。担任の先生をドラフトのように指名したい皆さんの気持ちはわかりますが、担任指名制や中学校自由選択時代はもう少し先の話です。指名ではなく使命です。

先生の使命は何だろうと先生仲間で話し合っていくと、だいたいは「子どもたちを成長させること」という結論に行き着きます。ここまではよいのですが、話し合いがエキサイトしてもっと突き詰めてしまうと「子どもたちを幸せにすること」なんて結論に至ります。つまり、幸せな子に育てることが先生の使命であるということですが、皆さんはどう思いますか?

私は先生が子どもたちを幸せにすることはできないと思います。そもそも、先生がその役割を担うシステムは持続可能ではないですし、先生が幸せな子を育てるというベクトルでは上手くいかないであろうと考えています。

というか、先生に手取り足取りやってもらって掴んだものを幸せと呼べるのかな?

自分で掴んでいないものを幸せと呼ぶ気になれるのかな?

自分の幸せは自分にしかわからないよね?

では学校の先生に求められていることは何なのでしょうか?

それは幸せな子に育てることではなく、自分で幸せを掴む子に育てることです。一時だけ幸せを感じることができたとしても、それが自分で掴んだ幸せでなければ、環境が変わったときに対応できなくなります。いかなる局面においても打開策を見出し、自分の手で幸せを掴んでいく人生を歩んでほしいと思います。

誰かが運んできてくれた幸せはすぐにどこかに行ってしまいます。自分の手でたぐり寄せて、自分の手で掴んだものを幸せと呼びたいので、やはり誰かに幸せにしてもらおうという受け身のスタンスでは、世の中を楽しく渡ってはいけないと思います。学校では幸せの掴み方を身に付けることを優先すべきです。学校の先生は子どもたちに対して、幸せの掴み方を示すことが使命なので、これからも子どもたちに声をかけ続けるのです。

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※本記事は、2022年2月刊行の書籍『キャベツになれ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。