【前回の記事を読む】20年ぶりに会いたい…成人式の日、僕は母を探しに出かけた

1章 応援される人間とは

僕と父はおばあちゃんの家に上がり、3人で話をしました。ただ、姉の顔を見ることはできませんでした。

「お化粧してないから恥ずかしい」

と部屋から出てこなかったからです。笑

父とおばあちゃんは昔のことをいろいろと話していました。どれもまるで知らなかった話です。父がおばあちゃんに世話になっていたこと、僕が生まれた時の話……いろいろ話題が広がって30分ほど過ぎた頃、おばあちゃんが

「今日はなんでここに来たの? 」

と聞いてくれました。僕は正直に

「お母さんに会いたい」

と伝えると、おばあちゃんは「そかそか」と頷き、

「せいこ(僕のお母さん)に伝えておくよ! 」

と明るく返答してくれました。

「せいこから連絡が来たら、お父さんに連絡するね! 」

と話が終わり、僕と父はおばあちゃんの家を後にしました。それから父は、なぜ今まで家族のことについて話してこなかったのかを教えてくれました。

「空が小さい時に家族の話をしてしまうと心に傷を負ってしまうのではないか」

と気にしていたそうです。そこから、僕が大きくなっても、高校で所属していた野球部が無期限活動停止となり、学校や人間関係に不信感を抱いていたため、この時期も家族の話を避けていたといいます。父は父なりの愛と考えがあり、僕のことを気にかけてくれていました。

そんな父から「すまん」と一言、ウルっと来て家に帰ったことは今も忘れません。

20年ぶりに母と再会

3ヶ月ほど過ぎた頃、父から連絡が来ました。

「ゴールデンウィークに母と会える」と。

同じ北海道でも、札幌で一人暮らしをしていた僕は、そのゴールデンウィークに函館の実家に帰りました。

母に会える当日、僕は車で待ち合わせの場所に向かいました。20年間、顔も名前もわからなかった母親と初めて会う瞬間。僕はこれまでの人生の中で一番緊張していました。待ち合わせの場所に着くと、そこに立っていたのは、4ヶ月前に会ったおばあちゃん、そして大人になって初めて見る母と姉です。

僕は3人を車に乗せ、レストランに向かいました。移動中の車の中での会話は殆どありませんでした。15分ほど走り、レストランに着きました。1時間ほど母や姉と話をしましたが、会話の内容は正直何も覚えていません。恐らくその瞬間、僕は緊張しすぎて頭が真っ白になっていたのでしょう。唯一覚えていることは、ただただ母と僕が涙を流していたことです。

しかし、僕はどうしても母に問いたいことがありました。小さい頃からずっと思っていたことです。でも、最初に会った時には怖くて、それを聞くことができませんでした。

だから再会してから、母と会う機会を増やして心のブレーキを少しずつ取っていき、夏が来る前の21回目の誕生日の日。僕は母の家に行き、母が作る初めての手料理を食べ、懐かしい気持ちになるのを感じながら、小さい頃からずっと聞きたかったことを、ここで母に打ち明けます。