第二章 仮説社会で生きる欧米人

三位一体説は仮説で成立している

キリスト教は三位一体説を教義の核としますが、キリスト教の唱える予定説も三位一体説と深い係りがあります。私は人から三位一体説の説明を求められたことがあり、難しい三位一体説を説明した概念図がないかと海外を含めて色々探してみました。ところが不思議なことに、欧米には適切な三位一体図が存在せず、日本のカトリック系の教会で在るにはあったものの、それも分かり難い三位一体図でした。

日本人の感覚では、難しい案件を人に説明する場合、箇条書きにして個別化するか、或いは対象物を図解にして説明します。聞く方もそれで理解が進みます。キリスト教を信奉する欧米で三位一体図が存在せず、仮りにあっても数が少ない不思議な現実、ここに日本人と欧米人の基本的な思考の違いがあります。

私たち日本人は、五官、特に視覚を働かせて対象物を整理、グルーピングして正否を判断します。これは帰納法の思考となります。一方欧米人は本質に近い仮説からスタートして、アレコレ推論して結論を求めます。これは演繹法の思考です。

キリスト教はいまでもヨーロッパ人の心の糧になっています。そのキリスト教では人間の姿で現れたイエス・キリストの取り扱い、即ちイエス・キリストが神か人間かとの論争が長期間続いていました。

イエス・キリストは色々と奇跡を行ったものの、冤罪で処刑され、三日後にまたこの世に現れたとされています。キリストが色々と奇跡、功績をあげたことが、事実だと仮定しても、人間の姿で現れた者を神と崇めるのは、日本人でなくとも、ヨーロッパ人でも道理がゆかないと考えることに必然性があります。

ところが、キリスト教はイエス・キリストが神か否かで長年揉めた難しい問題を「神は言」「言は神」とする分かり難い論理で問題の結着を図っています。創造主の神は霊を発し、その子息イエス・キリストも霊を発し、人々はその霊を受け、三者が一体であるとする三位一体説です。

キリスト教では、霊という概念を命、パワーだとしていますが、命やパワーは人の目で見えるものではなく、図で表すのは叶わないものです。ヨーロッパで適切な三位一体図が存在しない理由がここにあります。

神は本質と同じように見えるものではありません。ところが、イエス・キリストは人間の姿で現れています。この矛盾を解決するためキリスト教は、神は霊を発すると仮説化し、これを図でなく言葉で表現したものが「神は言」「言は神」です。

本質を仮説化し論理を進めて結論を出す思考は演繹法となります。キリスト教の三位一体説は仮説を立て演繹法で説明しています。三位一体説が仮説で成立しているとする私の主張の根拠がここにあります。難しい三位一体説ですが、キリスト教の教えの核とされる三位一体説を、私の仮説を入れ込み、三位一体図の概念図を作成してみますと、【図1】のようになります。

[図表] 三位一体図の概念図

私が作図した三位一体説の内容を説明してみますと、全能である創造主(神)を頂点に位置づけ、創造主は霊を発し、創造主の子イエス・キリストは霊をバイブルにして人々に伝え、人々は霊(バイブルの教え)を受け入れ、予定説で神に繫がり三者が一体であるとする図です。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『特性を活かして生きる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。