クロスバイクのギアを軽くし、更に坂道を上がる。自宅マンションのエレベータを上がり自室前に着くと、中の明かりがついていた。

――そっか、今日は健太が来る日か。

坂道で汗ばんだ額をタオルで拭いながら、ドアを開ける。

「ただいまぁ」

「お、真希ちゃん! おかえり。俺早かったから、ご飯作ったよ。今、できたところ」

ジャージ姿の爽やか系男子が、私の小さなエプロンを無理矢理腰に巻き、出迎えてくれた。向こうから、美味しそうな匂いが漂っている。

「うそ、マジで!?」

と言いながら、玄関先の廊下を小走りでダイニングまで行くと、私の大好物が待っていた。空腹を我慢して帰って来たものだから、急に口の中に唾液が充満した。

「チンジャオロース……! さっすが健太」

「レパートリー少ないけど、この味は間違いないからね」

私の後ろで、腰に手を当てて満足げな表情の健太。

「確かに健太のコレは、美味しいもんね。帰ってすぐ食べられるって嬉しいなぁ」

「食べたいというか、飲みたいんでしょ」

そう言って、冷蔵庫から缶ビールを出してきて、手渡してくれる。

「へへ、バレた? 何から何まで、すみませんなぁ」

私はキャップを脱ぎ、リュックは背負ったままプルタブを引き、その場でビールを流し込む。数口で飲み干し、空き缶をダイニングテーブルに勢いよく置いた。

「あぁ、美味しい。仕事後のビールは格別だね。もう一本、ちょうだい」

「ちょっと、真希ちゃん。いつもそれでお腹いっぱいになってご飯食べないじゃん。ただでさえ痩せてるのに。今日は好きな料理なんだから、食べてね? とりあえず、荷物を置いてきて」

お母さんみたいな言い草で、私をたしなめる。きっと何気ない日常なのだが、何とも心地よく、穏やかな幸せを日々噛みしめていた。付き合い始めてから、約九か月。そのまま二人で楽しく過ごしてゆくのだろうと、当たり前のように思っていた。

だが、その翌月、私は運命の出会いを果たすことになる。

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※本記事は、2022年6月刊行の書籍『エンゲージ・リング』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。