男が指定してきたのは、駅前になにもない都心から外れた寂れた駅、それも夜の十一時だった。

十一時? 違和感を覚えながらも、彼に会ってみたい好奇心のほうがまさって、あたしは駅に降り立った。今日は何度メールしても、返信はない。

(忙しいのかな)

男は遅かった。一瞬帰ろうかと思いながら、それでも一時間半、待ってしまった。彼と話してメールした、一か月の時間があたしに彼を信用させたのだ。淡い期待をしていたあたしは、彼のささやく甘い言葉を内心では打ち消しながらも、会ったこともない彼に対して、このときすでに恋愛感情を持っていたことは否定しない。

最終電車の時間が過ぎ、もう帰る手段がなくなってから、彼は車で来た。黒いワゴン車の後部座席、疑いもせずに乗ってしまった。

「遅れてごめん、のどが渇いただろ? よかったら、これ飲んで」

差し出されたのは紙コップ、のどがカラカラだったので、思わず一気に飲み干してしまった。まだ春先だったので、冷たくないのも気にならなかった。お腹が空いていたのに、彼とたわいもない話をするうちに、あたしの記憶はなくなった。

目が覚めたのは、古びた木造住宅の四畳半ほどの小部屋だった。猛烈な頭の痛みと吐き気。やっと正気に戻って部屋を見回すと、あたしのほかに二人の若い女性がいた。二人とも後ろ手に縛られている。

あたしはまだ眠っていたから無事なのか。どちらにせよ騙されたのだ。ここはあたしが来たかった場所ではない。徐々に鮮明になってくる頭で、やっと自分が捕まったのだと理解した。築五十年近いと想像する、とてもボロい家、とにかくここから逃げ出さなくては。

尿意を催したので、トイレに行こうと思った。それに家の中が、どうなっているのかも、見たかった。音を立てないように、そうっと立ち上がる。引き戸を開けたところで、男に見つかった。色の黒い大柄な男、このとき初めて彼の全身を見た。

「なんだ、お目覚めかい?」

彼の目は笑っていなかった。

【前回の記事を読む】連れられた先は不審な部屋…危険を察知した少年が、それでも逃げ出せなかったワケ

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『泥の中で咲け』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。