広島には小さな居酒屋から「酔心」で代表されるような大きな料亭まで、瀬戸内海の酒と肴を楽しめる店が多い。一方、旨い酒と肴を堪能したあと繰り出す流川や薬研堀界隈にはバーやクラブがひしめく華やかな世界が広がっていて、私は支店の社員がよく通っていたその内の一つ、バー「サタン」に立ち寄る日が続いた。

サタンとは怖い名であるがマスターは洒脱な会話で客をもてなすまさにプロであった。そして私が北海道出身と知って色々気を遣ってもらった懐かしい思い出がある。どうやら当時、広島界隈で北海道出身者は珍しい存在であったようだ。

仕事柄客の接待が多かった私は広島の一流のクラブであったV、やかた、蓼などを利用する機会が度々あったが今振り返ってみれば、どの店も客へのおもてなしには心がこもっていたように思う。

そのことを当時、店を取り仕切るママに直接聞いた事があるが、彼女らは広島近県の町村から出てきた人が多く、地方の大都市である広島の人や旅行者たちから田舎者だとして辱めを受けたくないとの自尊心と客へのおもてなしの心が強かったのでは、とのことであった。

地場産業を含め、日本の主要企業の工場が集まる広島は支店や工場への出張者が多く、この街を訪れる客へのおもてなしの心がごく自然に育っていったものと思われた。

また、ママさんたちの多くが美人で教養が高いことにも気がついた。その一人であった山口県出身のママから聞いた話では戦後、山口県から好景気の神戸・大阪に出稼ぎに行く人が多かったが途中で立ち寄った広島がその煌びやかさと生活のしやすさから、ついつい居座ってしまった人たちが居たのであろうと言われた。教養の高さはさすが松陰の生まれた萩の町がある土地ならではのことと思われた。

初めて聞いた広島の言葉は大きな抑揚があってリズミカルであった。また、語尾の変化に特徴があって親しみやすい。「お客さん、あんた方にとって広島はどない町じゃったかのう、良ければまた来てみんさい」、私はその広島弁を心地よく耳にしながら、また教えて貰った広島音頭「鯉は鯉でもお城の鯉は、七つ川の瀬……」と口ずさみながら静かに飲む酒も好きになった。

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※本記事は、2022年2月刊行の書籍『居酒屋 千夜一夜物語』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。