今日は水曜日だっけか。だとすれば、午後イチの三限目は国際関係論の授業だったはずだ。必修科目ではないし、やる気の欠片も無い退官目前の老教授は出席を取った試しがないので、これは考えるまでもなくパスだ。理沙も今晩はアルバイトだと言っていたから、うちにくることもない。つまり、今日一日、僕には何の予定もない。まあ、昨日も一昨日も用事は無かったし、明日も明後日も予定は無い。曜日や日付の感覚は、だいぶ前に僕には必要の無いものになってしまった。

今の僕の生活を区切っているものは、専ら「眠る」という不定期の行為だけで、あとは時々やってくる理沙とセックスをすることを除けば、「飴のように延びた時間」がだらしなく空間の連続性を埋めているだけだ。

右手の指先に挟んだタバコから白い煙が音も無く伸び、天井の硬さに柔らかく押し返されて、絹のような襞を形作りながらゆっくりと部屋の中に溶けてゆく。見るでもなく見ているだけのテレビに顔を向けたまま、もう片方の手で二本目を探る。

梅雨の季節特有の湿り気を帯びた重い熱気が体にのしかかってくるが、エアコンはだいぶ前に動かなくなってしまっていて使えない。修理はもちろんのこと、扇風機を買うお金も無いので、諦めてこの不快に身を任せる他ない。壁にだらりと吊り下げられたカレンダーに目を遣る。次の仕送りまではあと一週間。また理沙に少しばかり無心するしかなさそうだ。とりあえず一万円くらいあれば、タバコを減らさなくても何とかなるだろう。

大学というものには初めから何の期待も抱いていない。支払った学費は、四年間というまっさらな時間を買うための必要経費だと割り切っている。だから、真面目に勉学に励もうなんて殊勝な気持ちはこれっぽっちも無かった。国際関係論や経済原論の知識が、僕のこれからの人生に介入する余地があるとは思えない。必要最低限だけ出席し、見知らぬ誰かにノートを融通してもらって、適当なレポートを提出したらそれでお終いだ。

では、アルバイトにでも勤しむか? それも僕にとっては全くの論外だ。どうして、自ら進んで我が身を労働などという苦役に縛り付けなくてはならないのだ。偉そうな客にペコペコ頭を下げたり、全然興味のないガラクタを笑顔で売り捌いたりなんてのは、とてもじゃないが耐えられない。

僕は、この四年間という時間を、ただただ自由に対して捧げることを望んでいる。好きな時に眠り、好きな時に起き、好きな時に食べ、好きな時にセックスをする。動物のような自由と、その自由を自由として認識する人間としての理性。この組み合わせこそが人間にだけ許された至上の幸福であり、特権であると僕は確信している。

大学生という地位は、その自由を実現するために止むを得ず必要な手段に過ぎない。僕の人生は僕だけのものであって、誰にも邪魔はさせない。至ってシンプルなポリシーだ。少しも難しい話ではない。

※本記事は、2022年7月刊行の書籍『羽ばたくことのない鳥たちへ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。