賢治の母、小夜子は一本になるとすぐに独立し、祖母と共に花富久を立ち上げたのだが、半玉の時代から「小夜子」の名が通っていたので芸奴名は付けず、本名でお座敷へ出た。

甲府のお座敷では一、二を争う美妓といわれた小夜子は、旦那が付いて身請けされても廃業せず、置屋の「おかあさん」として芸妓を育て、賢治を生み、育てたのである。

このような環境で育ったが、賢治は妾腹の子とか芸者の子とかという、ともすればありがちな世間の目による劣等感とは無縁だった。

学校へ上がるまでは近所の男の子たちとチャンバラごっこ、兵隊さんごっこで西の空が茜色に染まる頃まで遊んでいたし、女の子たちとも石墨で円を書いてケンケンしたり、馬跳びなどをしたりして日々を過ごしたものである。

桶屋のトシボー、鰻屋のヒサちゃん、饅頭屋のコウちゃんが遊び仲間の常連だった。

だけど、学校へ上がる頃になると、男の子たちは相変わらずだが、女の子たちが急によそよそしくなってきたように思った。芸者屋の娘だけではなく、職人や大工の娘などもそれぞれの師匠に弟子入りして稽古事を始めるからである。

その上、三、四年生になると職人の子は男の子も家業の手伝いをするようになる。饅頭屋のコウちゃんは、学校が終わったあとや休みの日には、店の裏の「こうば」に入って職人と一緒に仕事をしている。

職人といっても一人前の仕事ができる者から、韮崎などの田舎の農家の二、三男が尋常を終えて十二、三で口減らしのため見習いに住み込んでいる小僧もいるため、彼らとはたいして歳は違わない。三、四人いる職人の誰かに言い付けられて角の煙草屋に煙草を買いに行かされるのに出会うと、粉だらけの顔を伏せて目も合わさず、すぐに店に飛び込んでしまう。

桶屋のトシボーは、道に面した板の間の仕事場で、親方である親父さんにしょっちゅう怒鳴られながら桶の「たが」にする割り竹を揃えている。

【前回の記事を読む】【小説】着物や帯をまさぐって…芸者置屋の息子の「宝探し」