【前回の記事を読む】「オレが稼いだお金を何に使おうがオレの勝手だ」が可能なワケ

無償の代償

地上波テレビの民放局はスポンサー企業の広告料で成り立っています。ですので、コマーシャルは元より番組もスポンサー企業の意向が反映された内容になり、購買欲を煽(あお)るものになりがちです。スポンサー企業からすれば、そのための投資と言いえます。視聴者には無償で番組を提供することで、何らかの消費を期待しています。

同じく無料で使えるものに、ウェブブラウザの検索エンジンがあります。こちらはニュース番組などへ、今週の検索ワードランキングといった形で情報提供をしています。検索エンジンを提供している企業は営利企業です。つまり、我々私たちは検索ワードという個人情報を提供する(売る)ことで検索エンジンを無料で使えるのです。

同じことがソーシャルメディアにも当てはまります。個人情報を提供する(売る)ことで、各社のサービスを無料で使うことができます。その各社は個人情報をビッグデータ化し、統計データとして販売することで成り立っています。

デパ地下などで見られる試食も似ています。購入する前に味見をしてもらい……、と顧客に寄り添った姿勢であると感じられますが、無償で食べたという負い目からお返しをしたい、すなわちその商品を買いたいと思わせる効果を狙っている部分もあると思います。

このように営利企業から無償で提供される様々なサービスに対し、確かに直接的にはお金を払ってはいません。しかし、その代わりに別の何かを払っている(または負っている)ということを忘れてはいけないと思います。

不足・需要の創出

ところで、人類史は飢餓との戦いの歴史であったと言いわれます。天候に左右されて植物が不作になると、野生の草食動物も影響を受け、肉食動物も影響を受けます。もちろん人間もです。数年から十数年にわたる寒冷期が訪れることで食料が不足して民族大移動が起きたり、その原因が統率者の徳にあるとして政権交代が起きたりしたようです。

現代では食料を備蓄する技術も、天候に左右されずに作物を生育する技術も発展し、先進諸国においては飢餓に苦しむことはなくなりました。しかし人間は、飢餓の歴史が遺伝子レベルで刻み込まれているので、食べることに貪欲です。エネルギーとして消費する以上に食べるので、体にエネルギーの元を蓄えます。脂肪です。これが度を超えてくると肥満と言いわれますね。

そこで生まれた商品が、食べても食べても蓄えられない食品です。カロリーオフとか糖質オフとかを謳(うた)っていますね。純粋に食べたいという欲求のみに焦点をあてた商品と言いえます。