5.空

今の仏教の根本教理と見なされ最も重要視されている【空】ですが、実は、仏陀はあまり説いていません。最古層の仏典『スッタニパータ』で【空】が説かれているのは、次の箇所くらいです。

つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を〈死の王〉は見ることがない。それでは、仏陀がスッタニパータで説いた『世界を空なりと観ぜよ』の【空】とはどういう意味でしょうか。

それを解明するには、『ダンマパダ』の次の言葉が参考になります。ほとんど同じことを説いているからです。

世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。

さらに、次のように言います。

この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであるとさとったならば、死王の見られないところに行くであろう。

つまり、仏陀は、泡沫やかげろうをはかないという例えで使っているのです。歴史上の仏陀が【空】というときは、『泡沫のように生じては滅するはかないもの』と言う意味です。非常に単純明快です。

『すべての存在は縁起によって成り立っているから自性がない、実体がない、空である』というのは、遙か後世に創り上げられた教理です。これが、仏教の根本教理とされていきました。しかし、歴史上の仏陀が『すべての存在は縁起によって成り立っているから自性がない、実体がない、空である』と説いている原始仏典はありません。

※本記事は、2022年4月刊行の書籍『仏陀の真意』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。