その日はセックスも冴えなかった。雄二もしょぼんとしていて、私も気分が暗かった。でもセックスはできることは判明した。卵が割れないだけの精神障害なんてあるのだろうか。

私は半蔵門に近い洋食屋の「馬耳東風」の副料理長である。料理長の鳩山さんに卵が割れない件を話したら、渋谷に精神科の医者がいるから明日にでも行ってみたらどうだと言われた。今日は予約が入っていて忙しいので明日なら、ということだ。たくさんの卵が並んでいて、見るだけでもおぞましい気持ちになってくる。

調理助手の洋子さんに頼んで、スフレ用のたくさんの卵を割ってもらった。まあ、卵が割れないだけなんだから、と思いながらも卵も割れない料理人って何なのと、己の恥ずかしさに心がすくむ。

母は好き嫌いの激しい人だった。卵は、特に生卵は嫌いだったなと、スフレを作りながら思い出した。母は父が日本を去ると、さっさと小さなアパートに引っ越して、保険の仕事で私を育ててくれた。母の両親は帰っておいでと再三言ってきたのだが、母は福井では親掛りになるからと、東京に居残った。父は私の誕生日などに、アメリカから結構な大金を振り込んでくれた。でも円が高くなって、父が再婚してからはそれは途絶えた。

私が料理好きになったのは、母が料理嫌いだったからということもある。出前好きの母に辟易して、私は8歳くらいから母と二人の食事を作っていた。学校帰りに食材を買い、母が帰ってくる6時頃には夕飯を作って待っていた。

母の休暇のお盆やお正月には、母の故郷の福井の小浜に帰るのが私の楽しみであった。祖父と祖母は母の兄と同居していた。夏は従兄弟と福井の海で泳いだり、潮干狩りしたり、冬は寒い雪混じりの風に不安な気分になったりした。従兄弟達は健一、佳子、大と言い、大体私と同年代であった。皆親切で食べ物も美味しくて小浜に行くのは私の楽しみであった。17歳までは。あのことがあるまでは。

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※本記事は、2022年5月刊行の書籍『卵の殻が割れなくて』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。