私が中学1年生の年に昭和から平成になったのでよく覚えていますが、初めて担任の先生が女性になりました。女性といえば、高等部では、交流があった女子校の生徒の方との交流会が行われ、女子からもらったクリスマスカードも嬉しかったです。

ちなみに、サンタクロースがいないことは、小学1年生のときに気づきましたが、小学4年生まではそのことをわざと親には黙っていて、信じているふりをしていました。

クリスマスプレゼントがもらえたらそれでよかったので。私のずる賢い一面ですね(笑)。高校3年生の夏休みの宿題で読書感想文を書いたのですが、その作品を読書感想文全国コンクールに応募しました。普通に読書感想文を書くのではなく本の主人公に宛てた手紙ふうにアレンジをして書きました。

その狙いがうけたのか賞をいただく前の段階までいったそうです。物を書くことが好きだったのは、この頃からだったのかもしれません。

卒業式では、高校2年生のときに在校生代表の送辞、翌年の高校3年生では、卒業生代表の答辞を担当させていただきました。送辞も答辞も、内容を丸暗記するまで練習し、自分の役割を果たせたことが嬉しかったです。

最後に私の体のことについて触れたいと思います。小学校低学年までは手動車椅子で自走したり、補装具を装着して歩行器を使って少し歩くことができました。

小学4年生ぐらいには、寝転がっている体勢から起き上がる動作を介助なしで、自力であぐら座りができるようになりました。あぐら座りが一人でできるようになったとき、家族はものすごく喜んでくれました。

しかし、その後は歩行器で歩くことはできなくなり、自分の残存能力の維持のために手動車椅子で自走していましたが、高校2年生のときに担任の先生から「残存能力を維持することよりも、自分の行動範囲を広めたほうがいい」と提案してもらい、電動車椅子の操作に慣れる訓練をしました。

学校を卒業後、社会に出てからは外出時に電動車椅子を使用しています。当時は迷いましたが、あとから考えると、この選択は正解でしたね。提案してくれた先生に感謝です。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『私もみんなの役に立ちたい』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。