募金活動

母校の県立高校が創立一〇〇年を迎え一〇〇周年記念事業を行うことになり、その資金として寄附を募ることになった。県の予算による体育館の改修とともに、正門の拡張整備と自習室の追加整備を記念事業としてOB会主導で推進することになった。

OBに振込用紙を郵送して寄附金を振り込んでもらう方式で、一口五〇〇〇円、総額一五〇〇万円を募ることになったが、自発的に振り込んでくれる人には限りがあるので、どうしても戸別訪問による募金活動が必要になる。寄附をもらいやすくするために税法上の寄附金控除の対象になるような手続きもして、結果的には目標を上回る金額を集めることができた。

しかしながら、募金活動で歩くたびに世知辛い世の中を痛感することが多かった。町内会の役員宅を訪問した時には、こちらは町内会の寄附にはいつも協力しているわけだから、ある種の期待をして行くわけだが、そこの奥方が出てきて「寄附だから自由ですよね」と軽く断られて意気消沈した。

子供が何人も卒業しているあるお宅では玄関の戸も開けてくれずに「家はやりません」とけんもほろろに断る奥方もいた。もちろんご苦労様でしたと、お茶まで入れてくれて快く何口かやってくれるお宅もある。ある女性の卒業生は自分の分を届けてくれただけでなく、地区役員でもないのに後で知り合いの卒業生を回って寄附を集めてくれた。奇特な人である。

また地元で不動産業を営んでいる後輩は高校二年の前期までの在学で都立高校に転校してしまったのだが、お世話になった高校だからと快く何口も寄附してくれた。友人とはありがたいものである。

地区役員もいろいろである。本部役員から依頼があるや否や寄附を集めてくれた人もあれば、何度足を運んでも動いてくれない人もある。

地区によってもいろいろである。ある地区では大金持ちという噂のある卒業生が、前回ずいぶん出した(これは法螺だった)から今回は遠慮すると逃げてしまった。その地区はそういう類が多いのか、戸別訪問で協力してくれた人は結局一人だけだった。別の地区では地区役員の案内でわれわれも一緒に回ったのだが百発百中で、その地区役員の人徳というか、寄附集めの戦術のうまさを感じさせられた。そこでは寄附をもらって歩く順番も注意深く配慮されていた。

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※本記事は、2021年11月刊行の書籍『雑草のイマジネーション』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。