三 美味しい食の話

10 白い松茸

季節は正直なもので、夏に涼を感じた西瓜や桃。それが秋になると葡萄、栗や松茸、銀杏などさまざまなものが出回る。四季の豊かな日本に生まれて良かったと思う瞬間でもある。

日本の食材は、山も海も種類は多く、素材を活かすことが日本料理の神髄。以前、よく山中湖の別荘へ行き、貴重な体験をした。驚くことに、富士山の山麓でも松茸が採れるのである。

形はさまざまだが自然が育んだ松茸は、人が手を加えたものではない。言うに言われぬ香りが漂う。食感を楽しみながら、採りたてを生で食べるのが一番だと思った。

人はよく工夫を凝らすものである。昨年、とある寿司屋のカウンターに座ったら、松茸の握りというものをすすめられた。見た目には美しく、たいそう艶の良い形の整った松茸だが、秋を感じさせる香りは薄い。あ~あ~、これは飛行機に乗ってはるばるやってきた松茸だとすぐさま思ったものである。

一九八八年から一九八九年にかけて、日米両国政府主催の「大名美術展」がワシントンDCの国立美術館で開催された。その開催記念として海外で初めて能の大曲『道成寺』を舞った時のことである。

当時から日本食は米国の方から大変好まれていた。戦後我が国が稀に見る元気な時でもあった。

時の国務長官のベーカー氏や国立美術館館長のカーター・ブラウン氏が、家族連れでよく足を運ぶ美味しい寿司屋があった。その名前は「すし幸」。郊外の店は、そうたいして立派な店構えとは言えないが、サービスは良く、居心地も良かった。

そこで食べた松茸は、香りの良い白い松茸。注文したらドカーンと「どんぶり鉢」いっぱいに出てきたのには驚いた。

帰国後、首相官邸で開かれた米国副大統領の歓迎晩餐会に招かれた。私の隣の席はライシャワー夫人、正面はライシャワー教授で話が弾んだ。教授ご夫妻は、「うちの裏庭では白い松茸がたくさん採れるんですよ」と、話に華が咲いた。

我が家の庭じゃあ松茸どころか何が採れるのだろうと、多少惨めな気持ちになったが、宅の檜の舞台と坪庭の佇まいには、松茸に匹敵する秋の風情があるのだとふと思い起こし、「そうだ! そうだ!」と、妙に納得した。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。