三 美味しい食の話

9 秋刀魚

秋、それは暑い夏から寒い冬へと移り行く約三ヶ月の間の季節だ。

秋には一年かけて回遊してきた脂の乗った秋刀魚がその姿を見せる。鮮度の良いこの魚の、銀色に輝き立った姿はまるで剣のような美しさだ。

初秋、三陸海岸のとある有名なお寿司屋さんでいただいた、新鮮な果物のような香りのする脂ののった刺身は、これが本当に秋刀魚なのかと疑ったものだ。美しいものは絶対に美味しい! 感動の極みである。

近ごろは現地で水揚げされると、たちまちのうちに拙宅へ届けられ、台所で調理されて食卓に並ぶ。まことにありがたや! かたじけなや! ただただ、感謝、感謝の言葉に尽きる。

刺身でも食べられる秋刀魚を、私は塩焼きにし、熱々をいただくのが好きである。刺身とは趣の違った味覚の変化に、口の中では美しい旋律が奏でられるような気がするから不思議だ。

塩焼きは身から尾まで美味しくいただけるが、とりわけ腹の「腸(わた)」の部分が美味しい。気に入ったものしか出さない年季の入った日本料理店の主人は、「現代の若い方は『腸』を食べない人が多いですよ」と言う。どうしてだろうか? 食文化がいつの間にか変わってきているのではないか、と思いを巡らす。

フランスのマルセーユの名物「ブイヤベース」はエビの「みそ」が味の決め手だし、イタリアの烏賊の黒すみの「腸」も、日本料理では使わないのに巧みに工夫されてテーブルにのぼる。特にイタリア料理は若い方に好まれているのではないか。

そうだ! 若い方たちは魚を一尾丸ごと食べる機会が少なくなったのだ。西洋料理は魚も切り身にして出すことが多いし、一尾で調理する時は中骨を上手にはずして美しく皿に盛る。

祖母の時代は、江戸時代の「お魚屋さん、一心太助」の話ではないが、魚は一尾そのまま買われたものだった。それが今は切り身で店頭に並ぶ。私が好きな秋刀魚の内臓は知らず知らずのうちに箸から遠ざかっていくようだ。

秋も半ば、モスクワ生まれの神童といわれたピアニストの、四十歳の誕生日記念演奏会に出かけた。きりりとしたその演奏、深い味わい、鋭い切れ味は、季節の秋刀魚を思い起こさせる。公演後、友人と音楽、そして食文化に話が弾み、盃を重ね、秋の夜もすがらを過ごす。社会の喧騒を忘れる悠久なひと時であった。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。