昭和大修理の科学的知見

時系列操作

実は、『日本書紀』は虚偽に満ちています。

多くの人は、古代人は現代人より遥はるかに素朴で素直だったと信じているかもしれませ。しかし、それは大変な誤解です。古代を生きた人々も高度な知性を備えたホモ・サピエンスであり、現代人と同じです。現代人が日々の厳しい生存競争を戦って命をつないでいるのと同様に、古代の人々も日々厳しい闘いを強いられていたはずです。

たとえば、中国の古い歴史や古代ローマの事件などを思い浮かべてください。そこに描かれる人間模様は現代人と何ら変わりません。喜怒哀楽、権謀術数、それらは古代も現代も基本的に変わらないのです。

古代は現代と大きく違わないという点は、『日本書紀』においても同じです。多くの人は、千三百年以上も前に完成した『日本書紀』は、古代人が編纂したものだから誠実、素朴、素直に記述されていると信じているかもしれません。しかし、その善意の思い込みが古代史研究を狂わせてきたのです。

近年、国会で政府のお役人による公文書偽造事件が取り上げられましたが、古代においても文書の改竄(かいざん)捏造(ねつぞう)は珍しいことではなかったと考えておくべきです。忘れてはなりません、古代人も現代人と同じ高度な知性を備えたホモ・サピエンスなのです。現代社会で起きているのと同様のことは、古代社会においても起きていたのです。つまり、古代人が編纂した史料だからといって油断してはならないのです。

古代に編纂された史料であっても、現代と同様に捏造や改竄があるかもしれないと注意しながら読む必要があるのです。『古事記』や『万葉集』なども同様ですが、『日本書紀』も虚偽に満ちています。『日本書紀』が虚偽を載せている証拠として、ここに一例をご紹介します。

これらの記述は執筆者・編纂者たちが史料の確認を怠ったというような過失ではなく、明らかな故意によるものと考えられます。本来、最も信頼されるべき正史ですが、事実と異なることを平気で記載しています。『日本書紀』は当時の政権が心血を注いで編纂した正史であり、古代史研究において、これまで全幅の信頼が置かれてきました。当時の執筆者・編纂者たちは何を目論んで『日本書紀』に虚偽を記載したのでしょうか。