三 美味しい食の話

8 “美しい ”は美味しい

アナゴは、やはり夏が旨い。

日本橋髙島屋の横に「すし由」という寿司屋があった。いわゆる江戸前の寿司で、職人は置かず、夫婦二人だけの商い。店主自ら河岸に出向き、素材を吟味し、手をかけて下ごしらえをしていた。

アナゴは、今では年がら年中あるが、ここはまだ埋め立てが進んでいない頃の、東京湾の羽田沖あたりで獲れた、夏のものしか扱わなかった。

主人の甘みは和三盆。納得した味と柔らかさに煮上げたアナゴの握りは、口いっぱいに幸福が拡がる美味しさであった。

酢めしとのバランスもちょうど良い。近頃はむやみにネタの大きい握りや、やたらと酢めしの小さい握りがもてはやされているようだが、ここの握りは、手でつまんで、ほおばるくらいの大きさ。それくらいがネタと酢めしのバランスが一番いい。

夏は、アジも旨い季節だ。主人によると、なかでも美味しいのは神奈川県の葉山沖で獲れるアジで、皮をひかなくても舌に残ることはないと話していた。何度か食べさせてもらっているうちに、私も見分けがつくようになった。

アジは季節によって皮が黒くなるもののようだが、この季節のアジはコバルト色をしていて、尾から腹にかけてふっくらしていた。その握りは、心に残る味と香りであった。色つや、姿かたちの美しいものは、食べても美味しいものである。

ことほど然様に、素材にこだわり、自分の仕事にこだわる主人であった。それでいて、こだわりを客に見せることは決してなかった。世阿弥のいうところの「離見の見」。常にクールな心の目で、自分の完璧な姿を見つめていた。

食べ物でも能でも人生でも、こだわりはある程度あったほうがいい。こだわりは文化や伝統、創造性に繫がるからだ。

能は、六百五十年の長きにわたる伝統があるが、単に「受け継いできた」のではなく、人が生きていく上で普遍的な価値があるからこそ、伝えられてきた文化である。カリフォルニアロールのような多様性は認めつつも、日本の伝統のすし文化は、将来に向かって正しく伝えていかなければならないと思う。

残念ながら、この寿司屋は、すでにない。