二ノ三 寛解と階段の店

母は、リウマチも抱えながら、基本的には肺炎で入院していました。

様々な検査と治療が始まりました。パルスオキシメーターで頻繫に測定する血中酸素濃度は依然として低く、鼻にカニューレという管をつけて酸素ボンベを身近に置きながらという状態になりました。

足首の痛みも徐々にしか引きませんでした。ただでさえ手足の不調で寝起きもしづらく、加えて酸素チューブや点滴もあれば、寝返りや身動きも大変です。ポータブルトイレを横に持ってきていただいたのは助かりました。しかし、私が見舞いに行っているときなどは、やはりトイレまで連れていって、と望んでいました。当然です。

酸素のチューブに気を配りながらの移乗、一つ一つの動作もゆっくり慎重になります。特にアレルギーではなかったと思うのですが、アレルギー系の特異体質からくる肺炎ではないかとの見方もありました。特異体質というのであれば、肺炎もリウマチの方にもステロイド薬が有効とのことでした。内服薬だけでも私が記憶している最も多いときで朝食後に十五錠も服用していました。それだけで、お腹いっぱいになりそうです。

ステロイドは一日三十mgを服用していたと思います。点滴や薬、中でもステロイド薬の投与は急に効果が現れました。

ある日、病室に行くと姿がありません。検査かトイレだろうと、しばらくベッドの側で待っていると、なんと母は一人でスタスタと歩いて病室に戻ってきたのです。昨日会った様子とのあまりの違いに驚きました。「検査のときにかけていただいて借りていたひざ掛けをナースステーションに返しに行ってきた」と言います。管が外れるとともに手足の痛みも、ずいぶん軽くなったようです。毎日のように見舞っていた私も目を見張るものがありました。

それからは、見舞った後は断っても、少しリハビリにと、エレベーターまで逆に見送ってくれることもありました。約二か月の入院生活で、とても元気になり退院しました。しかし、肺炎とリウマチの症状が全くなくなったのではありません。薬は依然として多い服用で、様子を見ていくことになります。

退院して久しぶりに自宅に戻った当日から、自宅のあちこちを手入れしたり、すぐに美容院へ行ったりと、なかなか、じっとしていられない性分のようです。

しかし季節が移り変わり寒くなってくると、リウマチはまた徐々に悪化してきました。ベッドの寝起きやトイレもままならない動きづらさになりました。また後戻りです。家から十分ほどのところに外食チェーン店があります。近いので気軽によく利用していました。一階部分が駐車場、二階部分が客席になっているお店です。よく見る店舗の形ですが二階へ行くのは階段のみでした。

「行きたいけど、あの店へは、もう行けないな」と、残念そうに言うのです。一歩一歩の歩幅が小さく、すり足のようになってきました。リウマチの薬は、色々とあるようですが、高齢で、しかも肺炎を患っている母にはリスクがあるとのことで生物学的製剤など特効薬といわれる薬を使用するのは、見送られていました。

久しぶりに母と会った人は、たいてい、「あら、お顔も少しふっくらして、お元気そうで良かった」と言われます。しかしそれは、薬の副作用によるムーンフェイスになっていたのです。

デイサービスにも楽しんで通いはじめました。薬とリハビリを続け、ステロイド剤は加減を繰り返し一日五mgまで減っていました。悪い時期もあれば、良い時期も出てきました。体調は、また良い方へと進み、すり足気味の歩行も少しずつ足が上がるようになってきました。

ある日、病院の帰りに、家の近くの、そのお店へ行ってみようか、行けるかも、との話になりました。私たちがもうあきらめかけていたことです。ゆっくり一歩ずつ階段を上がりました。長い間、近くにいて行きたくても行けなかったお店へ行くことができたのです。帰りは、後ろ向きでまた一歩ずつゆっくりと降りました。日常のささやかな幸せが一つ戻ってきたのです。

私は静かに、しかし心の中で大喜びしたのです。加齢とともに、悪化の一途をたどるのではなく、高齢でもちゃんと日常の生活に彩りをつけるように快復するのです。“良かった”これからもいい体調を維持していければと願っていました。