ことの起こりはその朝入っていた一通のロシアの代理店からのメールだった。

ロシアに新しく設定したばかりのその代理店は魚群探知機やプロッター(海図画面表示器)等の販売実績を半年の間に急速に伸ばしていたが、九月にセントピータースバーグで開かれる国際ボートショーにアテンドして欲しいといってきたのはショーが始まる一カ月余り前の八月の半ばだった。そのボートショーの規模とか出品者の数についての説明を聞いて、将来が期待できる大きな市場だけに俊夫の心は動いた。

早速、航空代理店に電話を入れてロシア渡航の手続きについて確認した。

「相手から招聘状(しょうへいじょう)を取ってください。手続きにかなり時間がかかりますよ」

「九月十六日からのセントピータースバーグのボートショーに間に合うように出発したいんだが」

「さあ、間に合うかどうか」

担当者は困惑気味だった。何とかやってみてくれないかと俊夫は尻を叩いた。

「招聘状をすぐにでも入手していただけますか」

「今日電話で代理店に頼んでみよう」

「ビザの発行には戸籍抄本とビザ用の写真二枚が必要です。それらを二、三日中に揃えていただければ何とか間に合うようにやってみます」

すぐにセントピータースバーグの代理店に電話を入れ、招聘状を送るよう依頼した。快諾の返事を受けて、その日の午後品川の駅裏京浜線の線路沿いにある自分の会社から港区の区役所に車を飛ばして抄本を入手した。それから、ビザ用のスピード写真を撮る無人ボックスが俊夫の会社に近い品川駅脇のデパートの中に以前あったのを思い出して品川にとんぼ返りで戻った。

記憶を辿って駅前のデパートの中を捜し回ったが、スピード写真を撮る無人ボックスは何時の間にかなくなっていた。案内係に確かめると、場所が悪いせいか需要が少ないので閉鎖したという。

他にどこかで写真は撮れないかと近くのショッピングモールをうろついたが、どこにもそんなボックスもなければ写真屋の店構えも見当たらない。いささか焦って裏通りを当てもなくうろついた。東京駅辺りまで行ってみないと駄目かと諦めかけた時、町角にようやく写真屋の看板が見つかった。

平屋建の古びた小さな写真館だった。

※本記事は、2022年5月刊行の書籍『パペットのように』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。