「実は、ちょっとお願いが」

「シダの仲間にそういう植物があるみたいで」

郷里では、同じ名字の親戚もあって、決して珍しい名前と思っていなかったが、就職してからは、この名前の説明のためにできるだけ「木賊」の情報を入れている。

「木賊色っていう色もあって、緑色っぽい感じですかね」

「緑色か。あなたにピッタリですね」

照れたような言葉の意味を計りかねたので、万里絵は曖昧に笑った。

「あの出版社にお勤めですよね」

山崎は万里絵の会社の方向に顔を向けた。

「巡回の時、駅やコンビニのあたりで、時折見かけたので、この付近にお勤めの方だとは思っていました」

「ええ」

「実は、ちょっとお願いが」

山崎から話された用件は、万里絵の仕事にとってはたなぼたと言うべきものだった。亡くなった祖父の遺品の中から、自分史らしい原稿が出てきたので、近しい人に配りたいから本にしたいという話だったのだ。誠実そうで真面目そうな好青年、こういう商業ベースを意識しない案件は自費出版部門ではありがたい。本を出版しただけで、ベストセラー作家になったかのように錯覚する人が多いのだ。

「ノートに書き連ねただけのようですが、なんとかできますかね」

「もちろん、なんとでもできますよ。企画部の方へご案内いたします」

万里絵が依頼主でも、出版社の担当にこう言われたら心強いことだろう。

「そいつはありがたいですね」

「では、その作品、目を通したいので、会社の方へ送ってもらえると……」

「明日、自分は非番なので、直接持っていきますよ」

山崎の断定的な声が、万里絵の言葉を遮った。翌日、山崎は受付で万里絵を指名して会社に現れた。企画部の西木を伴って、応対した。手渡されたのは、縦書きの罫紙箋に筆ペンで丁寧に綴られたものだった。

「爺さんが亡くなって、これを見つけた後、どうしてもなんとかしたくなりましてね。親父や兄貴はそんなこととは言ったが、こつこつ、書いていた気持ちを思いますとね」

涙ぐんでいるのではないかと思った。

「自分のポケットマネーで、なんとかしたいと思いましてね」

「お預かりして、一度、目を通させていただきますね。後日、ご連絡を差し上げます」

山崎は出されたコーヒーを一滴残らず飲み干してから、打ち合わせ室を後にした。

「このままじゃ読みにくそうだから、先に読んでパソコン書きにしといてくれよ」

西木に言われて、「我が一代の記」と書かれた筆文字の原稿を預かってデスクに戻った。

※本記事は、2022年4月刊行の書籍『わたしのSP』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。