プロローグ

世界の一番東の端にある、島国の(みやこ)の外れに、天空へ架かる橋があるという。旅人がその橋を渡って行くためには、心に何かをもっていなければならないのだが、それが何であるかを教えてくれる者は、いつしかどこにもいなくなったのだという。

高層ホテルの立ち並ぶ品川から赤い色の電車に乗り、私電の蒲田駅から海の方向へ線路は急カーブする。独特の情趣ある古びた名の三つの駅を通過すると、ほどなくして地下の駅に入っていく。駅の改札を抜け足音が銀色に響くすこし長い地下道を歩き地上に出る。そこには蒼い虚空がひろがり、駅の名となった橋が小さな川に架かっている。

東京湾に近く船着き場があり、川幅がここだけ不自然に広い。そのため赤銅色の鉄の橋は思ったより長い。何の装飾もない少し錆びた一本の(おう)の字の形をした細長い鉄材が、両岸の堤防の上にただ置いたように架かっている。

東京の外れの外れ、大きな川の河口に近く、その醸しだす雰囲気は陽光が差していてもなんとなく寂しげである。そこに人びとから忘れられてしまったような街があり、そこへ渡るために「天空橋」という橋が架かっている。この世界にただ一つしかない名だと、街の者からいわれている人道橋である。

川には幾艘かの船が鄙びた光を浴び繋留されている。大都会の場末を流れる小さな川。人びとは名前の無い川だと思っているようだが、ちゃんとした名が付いている。しかしこのあたりに住む者の多くはその名に関心がない。ただ「カワ」と呼んでいる。それほどに無表情の川である。

橋を渡ると川沿いの歩道に木漏れ日が光と影を与える桜の樹が立ち並び、お地蔵さんを四体祀っている小さな祠がある。なぜこの場所に四体も地蔵菩薩を置かなければならなかったのか。海で生きる人びとを大時化(おおしけ)から守るためであろうか。あるいは遙か昔、大きな悲劇の死がここであったからであろうか。

漂泊の人生をおくる者が、一度は通り過ぎなければならない人間の都。その都の地の果てにある、ただ寂しく淡い光の当たっている場所。あまりに巨大で悲惨なあの世界大戦が終わった直後に、戦勝者によってこの土地を強制的に追われた者たちの悲しみなど、何もなかったように存在している。古い時代のマントをはおった一人の孤独な旅人が、この橋の上に立っていたら、ぴったりしていていいのだが。

しかし、彦坂(ひこさか)一郎(いちろう)は旅人ではない。彼は二〇一〇年より一月(ひとつき)に一度は必ず、ある女性に会うために、この橋を渡って行く。彼は橋のなかほどまで来るといつも一度立ち止まり、広い空を眺め、何かを想っている。そしてまた橋を歩きはじめる。この行為には何かの意味があるのだろうか。それは彼にしかわからない。もしかしたら彼にさえわからないかもしれない。しかし、橋を渡った先に住む女性に会うことが、彼の大切な仕事であることに、変わりはない。