カルチャーショック

私は中南米、東・西南アジア、中近東、アフリカなど二十七ヵ国での建設プロジェクトに関わりました。

それぞれの訪問国には特有の地理的特徴に加え、文化・習慣などがありました。ここではかなり年数を経過した今でもいわゆるカルチャーショックとしてはっきりと記憶されていることを述べることとします。

UAE(アラブ首長国連邦)

*初めての海外勤務地

UAEは古くは東西交易の中継点として栄え、第二次大戦後の石油開発までは真珠の採取と沿岸漁業を主産業としてきました。一九七〇年代以降は膨大なオイルマネーをもとに急速な経済発展を続け、現在に至っています。私は初めて経験する海外工事、それはUAEのうちの一首長国のラス・アル・ハイマーに建設するセメント工場建設プロジェクトに赴任するため、一九七九年八月八日、成田空港から南回りのフライトでドバイ空港へ向かいました。

このフライト・ルートは給油のためにフィリピン・マニラ空港、タイ・バンコック空港、UAE・ドバイ空港を経由し、最終目的地のオランダ・アムステルダムへ向かうルートでした。フィリピン、タイは両国とも東南アジアの国ということもあり、その空港スタッフを含めて、空港内で見かけた人たちにはそれほど違和感は覚えませんでした。

しかし八月九日、午前零時三十分に私の目的地であるドバイ空港に着陸し、入国検査場へ向かって移動する際、初めてアラブ人と遭遇したわけですが、そのときに感じたカルチャーショックは相当なものでした。

空港スタッフにはアラブ人の男性しかおらず、すべての人が民族衣装である白のワンピース(カンドゥーラ)に白のスカーフ(グトラ)とヘアバンド(イガール)を身に着け、髭づらで彫の深い顔の奥にあるギョロっとした目でジロジロ観察されました。

私はそのとき、日本から自分のスーツ・ケースの他にプロジェクト向けの中型ダンボール箱を十個持ち込んでいました。そこにいたターバンを巻いた多分インド人のヘルパーに依頼してカートに積み込み、通関エリアに向かいました。通関時に担当官から早口の英語で何か言われたのですが、教室的英会話ではなく生の英会話の経験が初めての私には、ほとんど理解できませんでした。

多分この箱はなんだ、と言っているのだろうと想像し、「これはみんな私の荷物である」と言ったところ、再度何か言われたので再度「これはみんな私の荷物である」と言ったところ、少しの間、私の顔を見ていましたが、身振りで「行ってよし」と言ってくれたので、サンキューと言って空港ロビーに向かい、迎えに来ていた作業所の日本人スタッフと合流しました。そのとき「よく一つも荷物を調べられずに済んだね」と言われました。

聞いたところ、スーツ・ケースはまず開けられないが、たくさんのダンボール箱を持っていると、持ち込み禁止物、たとえば酒類が入っていないか調べられることがある、とのことでした。たまたま担当者が私とのコミュニケーションは無理、禁止物は持っていなそうだから見逃してくれたのだろうとの結論でした。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『アテンション・プリーズ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。