「その一等賞に褒美は出たんですか?」

今まで黙っていた大学時代の友人、加藤仁が口を開いて言った。

「あの時のことは僕も覚えていますよ。斎藤が書いたホラー話もね。芥川龍之介の『羅生門』に出てくる山姥が現代によみがえって美女に取りつく。男を誘惑して男の妻や銀行の守衛を殺させ、地下に眠る金塊を奪わせる。そして金塊を持って逃げようとするところを男に見つかり、男が女の胸にナイフを突き立てると美女の姿はみるみるうちに恐ろしい山姥の姿に戻り、男を食い殺して金塊諸共闇に消えてしまった。そんなストーリーだったかな。

彼は皆がまだ寝呆けている早朝に誰にも気付かれずにこっそり書いていたんだ。それならばと他の連中もやる気を出してそれぞれ怪談を書いた。だが僕が強烈に覚えているのは斎藤のその夜の独演会での演技力だった。ローソクの火を灯してその上に顔を浮かび上がらせて山姥を演じて見せてね」

彼は学生時代を懐かしむかのように続けた。

「斎藤は役者の才もあったんじゃないか、何せ迫真の演技だったからね。

誰かが『お前は俳優の道に行ったらどうか』と言ったら彼は『確かに考えないではなかったが役者になるには背丈がちょっと足りなくてね』と言うんだ。誰かが『それは君が主役の色男をやることしか考えていないからだ』と混ぜっ返して大笑いになった。

ええ、一等賞の褒美はありました。皆で小遣いを出し合って斎藤に親子丼をおごった。あの頃は皆貧乏だったんでね。女性は来なかったな。どうせその後はまた皆で安酒を飲んでわいわいやっていつもと同じ調子で終わっちゃった」

「その話は手書きだったんですか?」

「ええ。もちろん手書きです。三十五年前のことですからね。ワープロはあったけれどPC内蔵ではなく別売りで、字体が独特だったしね。今思えばあの原稿を貰っておけば良かった。今ならネット・オークションに出したらいい値が付くかも知れない。僕らのW大文芸部は伝統のある部で、先輩には多くの作家や評論家を輩出しています。でも僕らの同期で文筆で身を立てたのは斉田寛だけです」

「そうね。あとは出版社勤めだとか会社員だとか……」と沙織。

先程の鈴木和博が割って入った。

「僕みたいな銀行員とかね。僕らは斎藤の成功にさほど驚かなかった。在学中から彼は皆とは違っていましたからね。きっと名を上げると誰もが思っていたし本人もそう思っていたと思う。二十代の終わりに探偵シリーズで大ブレイクした時はやっぱりあいつだと皆で言い合ったものですよ。どこかでお祝いしようという話もあったが皆忙しくてなんとなく立ち消えになってしまった。こうなると分かっていたらもっと頻繁に会っておけば良しかったとつくづく思います」

加藤が付け加えた。

「僕らは何かにつけ『僕は斉田寛と同期です』と言ったりしています。僕はがない商社マンですが、そうすると『へえぇ』とか言ってそこからお客に名前を覚えてもらったりするんですよ」

松野が聞いた。

「それが縁で斉田さんは同じ文芸部員だった奥さんと結婚したんですか?」

沙織が引き取って、「正直に白状しますけれど私たち文芸部の女性たちはあの人が小林清美さんと結婚した時は本当に驚きました。だって彼が選んだのは私たちの中で一番目立たない大人しい人だったから。文学部は女子の方が数が多くて、一方男子の中で目がキラキラ輝いていて彼にくっついて行けば何かが起こりそうなわくわく感のある人、そんな人は斎藤さん以外にいなかった。

斎藤さんはその気になれば選り取り見取りだったのよ。清美さんは東京の下町の電気屋さんの娘で、家族で大学を出ているのは自分一人だけだと言っていたわ。ごめんなさい、息子さんの前でこんなことを言って」

鈴木が沙織に言った。

「そういえば君も斎藤の彼女と言われていたんじゃなかったかね?」

彼女は軽く笑って言った。

「若い時の思い出……今じゃすっかり色あせました。私もおばさんになっちゃって、照れくさくなるから思い出させないでください」

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※本記事は、2022年1月刊行の書籍『私の名前を水に書いて』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。