カイバル峠を越えてアジアへアフガニスタン(カブール)→パキスタン(ペシャワール)一九七四年三月一日

冬期のためにアフガニスタンとパキスタンの国境のカイバル峠が閉鎖されていたので、カブールに十四日間も滞在してしまった。このカブールの二月は、日中の陽射しは若干暖かいが、日陰の氷は一日中融けない。ただ、われわれ貧乏旅行者には物価の安さは魅力的で、シシカバブやサフランライスなどは日本人の味覚に合うのも嬉しい。

ただ、安ホテルのシャワーが冷水は無料だが、温水にするには十アフガニ(四十五円)で薪を買って、それでお湯を沸かしてもらう必要がある(当然都市ガスなどはない)。そして、五分くらいの短時間でシャワーを浴びないと、シャンプーやせっけんなどを付けたまま冷水になってしまうので注意が必要だ。

三月一日にようやくカイバル峠の国境が開くので、パキスタンに向けて出発する。出発前に、なじみになった食堂に、安ホテルの同部屋のみんなで卵入りミルクの朝食を食べに行く。今日はちょっと贅沢してパンにつける蜂蜜を追加する。寒いカブールの冬には熱くて甘い食べ物はごちそうである。

ホテルのチェックアウトをしてバスターミナルへ。ペシャワール行きのバスはもう屋根に乗客の荷物を積み始めている。われわれもバスに乗り込んで出発を待つ。

今回はカブール滞在中に知り合った日本人二人との旅である。このバスには日本人が多く、乗客五十人くらいのうち三分の一ほどが日本人である。しばらくすると、ホテルで同室だった連中が見送りに来てくれる。

時間がきてバスは出発。風邪に弱い私にとっては暖かいところに行くことは無条件にうれしい。カブールを出るとだんだん暖かくなってくる。標高千七百メートルのカブールから低地のジャララバードまで来ると、カブールを出るときに着込んでいたセーター、コートなどは暑くて脱いでしまった。

カブールからカイバル峠の国境までは約二百四十キロメートルあり、昼過ぎに着いた。出国手続きは入国時に所持金等を記載して所持していた書類に、現在の所持金を記入して提出。その後別棟の事務所に行って出国スタンプを押してもらって終わり。荷物の検査もない簡単なもの。

パキスタンの入国手続きもとても簡単なもの。入国審査所に運転手が乗客全員のパスポートを集めて提出。そして、各国の代表者を一人選んでその人に、一人ずつ部屋に呼ばれた人の氏名、住所、年齢、職業などのパスポートの記載事項を読み上げさせ、それをタイプで打つ。その後入国スタンプをパスポートに押して終わり。

税関では所持金と職業を訊かれるだけで、荷物の検査はない。そして、入国審査時には係官が、パキスタン通貨への換金は銀行でするようにと言ったが、ここの国境には銀行はなく、闇で換金する連中がウロウロしている。

パキスタンの入国手続きが終わるとバスはカイバル峠に向かう。このカイバル峠では、バス代とは別に六アフガニか一パキスタン・ルピー(約二十五円)の峠税を支払わされる。

この国境で自動車の通行はこれまでの欧州、アフリカ、中近東で右側通行だったのが突然左側通行に変わる。これも大英帝国の植民地時代の名残で、世界中で車の左側通行はこのパキスタン、インドに加えてオセアニア、東南アジア、アフリカ南部の国々くらいだ。

日本は英国の植民地ではなかったが、明治時代に当時の英国から諸制度を輸入したときに自動車や人の通行方法まで輸入した結果である。ちなみに、江戸時代のわが国における人の通行は左側通行だったそうだ。これは武士がすれ違うときに、左の腰に差していた刀の鞘がお互いにぶつからないようにするための知恵だったそうだ。

インドとパキスタンの間に横たわるスライマン山脈にあるカイバル峠は標高約千百メートルで、紀元前千五百年頃アーリア人がインドに侵入するときに通過して以来、軍事的に重要な通路となっており、あのアレクサンダー大王が二千三百年前にインダス川まで侵攻した東方遠征のときも、ここを通った。

また、シルクロードのメインルートでもあった。現在でも中央アジアの重要な通商路であるが、草木の一本もないはげ山を曲がりくねって通る道である。バスが通るのは新しい道路で、この下の方には現在でもラクダの隊商が通る未舗装の旧道がある。

時々パキスタンの人たちが乗っているバスとすれ違うが、このバスが南米と同じようにトラックを改造したもので、その荷台には乗客がひしめきあっている。そして例外なくこのトラックバスは全面にびっしり極彩色の絵が描かれている。

たまには普通のバスもあるが、これもひどい代物で、フロントガラスがなく、それに加えて運転席の前のボンネットの上にも乗客がへばりついている。この国には安全を確保するための交通法規・規則はないのだろうか。それとも交通安全という概念が欠如しているのだろうか。

夕方パキスタンのペシャワールに着く。カイバル峠から四十キロメートルの低地のペシャワールに来ると、あのカブールの寒さが嘘のように、暑い太陽が降り注ぎ、花が咲き乱れている。

ここは昔から中央アジアとインドを結ぶ交通の要衝として栄えた都市だそうだが、現在でも同じでとても賑やかである。ここの市内交通は馬車と小型トラックタクシーで、この小型トラックタクシーもキンキラキンに飾られている。

食事は日本人の味覚になじむアフガニスタンから一変して、すべての食事が唐辛子の辛さ。朝、昼、夜の三食とも、そしてどの料理でもとにかく辛い。

一緒に食べていた米国人が、この食事を一口食べた瞬間に「Fire!(火事だ)Fire!(火事だ)」と叫んでしまったぐらいの辛さである。だから食べている間中、汗をかいている。あまりの辛さで、食べている途中で唇がはれてくる始末である。

この後、ネパールやダージリンに滞在したが(ここでは食事が辛くない)、インド国内を含めて四月八日にバンコクに発つまで一ヶ月間、すべての食事が辛いものとなった。