第1部 メガネの効用

第一章 眼と予防医学

1 眼が身体の不調を引き起こすことを突き止めた人々

過去に眼が肩こりや頭痛のみならず、身体のあらゆる箇所に神経症を起こすので、眼に対して適当な医学的な処置を施すことで神経症を治療した医者がいました。私はこのことを記した、およそ百年前に出版された貴重な本を入手することができました。見逃せば一生出会うことなく、知らずにやり過ごしたのかも知れないというくらいの偶然でしたが、ネット上の古書店で気付き購入して読んでみて、予期せぬ内容に驚きました。

それが前田(うず)男子(ひこ)博士の『神経衰弱と眼』でした。当時は原因不明で身体に神経諸症状を起こすものを神経衰弱とし、時代病とも呼ばれました。当時は神経衰弱の原因と治療法について書かれた書物はたくさんありましたが、どれも本当に的を得た効果のある療法はなかったそうです。

私がたまたま入手した本には、神経衰弱の原因を突き止め、具体的な治療法を示して、治療効果と病状の経過、その予後まで多数の実例を挙げて紹介してありました。それらの本の著者は三人の医師で、前田(うず)男子(ひこ)博士、中村辰之助博士、西村()()次郎(じろう)博士と、米国オプトメトリスト(視力測定医)のドクトル小川守三氏です。全員が眼科の専門医です。

なかでも前田珍男子博士は、「眼に神経衰弱を引き起こす原因があることと、その原因を取り除くために適切に合わせたメガネを装用する事で神経衰弱が治癒すること」、すなわち、眼と神経衰弱の間には、視力の良否だけでは評価できない疲労の原因が潜んでいて、原因に対して私たちの身近にあるメガネを用いて疲労症状を改善することができると提唱しました。

神経衰弱が治癒するメガネは現在専ら行われている視力本位の軽薄な検査法によるものではなく、神経衰弱の原因になる調節緊張や調節痙攣(けいれん)を緩和するものでなければなりません。

同書は、効果的なメガネの度の決め方と、メガネによる治癒実例を具体的に示した本です。前田氏はメガネを用いて神経衰弱の治療を行い、結果を出した日本で最初のあるいは世界で初の医師と言えるのではないかと思われます。眼はモノを正しく見るための調整機能を有しています。

読書など近距離の物へピントを合わせる調節機能と、両眼球の向きを一点に集中させる輻輳(ふくそう)機能がそれに相当します。眼はあたかも自らの意志で独自に働いている器官のように見えます。眼は脳神経に直接的に支配された脳の出先機関(器官)であり、生活におけるあらゆるシーンでモノを見るために不可欠な運動を眼自体で完結させています、この働きを眼球運動と呼びます。

日常の視生活において通常の眼が行う眼球運動(調節や輻輳)の間には一定の量的な関係があります。単純に表すと1メートル先の一点を見るときに行うピント合わせ(調節)量が1D(ディオプトリー)に対し、一点に眼球を寄せる輻輳量を1MA(メートルアングル)(輻輳角)と表す関係にあります。つまり1対1の関係です。

しかし1メートル先の一点を見る輻輳角1MAに対し、ピント合わせの調節量が2Dあるいは3Dを必要とする眼があり、これが遠視です。つまり、眼の性質により同じ条件下でモノを見ていても調節量に差があることになります。(視格異常と視格矯正法)

調節負担の大きい眼に、遠視、遠視性乱視、潜伏遠視などがありますが、前田珍男子博士は、眼球運動において通常と比べて大きい調節負担を強いられる眼を『視格異常』の眼と名付け、視格異常が引き起こす神経衰弱の治療を目的としたメガネ度の検出法を、『視格矯正法』と名付けました。視格異常と視格矯正法の両用語は共に重要な意味を持ちますが、現在これに代わる医学用語がありませんのでこれらの用語を本文中で採用したいと思います。