銀行の責務

戦後バブル(株価・地価が実体以上にふくれ上がった経済)がはじけて不況になった時、都市銀行は不良債権処理に国から多額の税金を借りて倒産をまぬがれました。しかし都市銀行は、本業の銀行業務の利息が政府の指導で安く制限されていました。町の大手貸金会社はやみ金融と言って利子を高く取って暴利ぼうりをむさぼっていました。

都市銀行はそこに目をつけて大手貸金会社を子会社にして、その子会社が高利の貸付けをして庶民を苦しめている利息を、国の借金の返済に当てている都市銀行もありましたが、この行為は都市銀行の取るべき行為としてずべき行為です。

金融業務の原点

英国にならって、日本に銀行を初めて導入どうにゅうしたのは渋沢栄一氏(初代国立銀行頭取)でしたが、彼は銀行の免許申請者は「士族」に限ると建言して、容認ようにんされたと言われています。それは「あきない」の手段のひとつではなく、「公益」の側面を持つ仕事であり、おおやけの利益や筋道すじみちをわきまえた運営が不可欠ふかけつであるとの考えがきほん基本で、その後の日本の銀行業務のバックボーン(精神的支柱)になっています。

明治時代の政治家を始め企業の創業者の皆さんは、確固たる理念と信念を持った方々ばかりで敬服しています。それを思うと一部の人を除のぞいて、昭和生れの政治家や企業の創業者の方々は、資本主義経済の世の中に生れたため、金儲けのためなら手段を選ばず金の亡者もうじゃになりさがってしまいました。

敗戦後は小学校から戦前の道徳教育を廃止したため、醜い姿になったのでしょう。しかしどうやら小学校から道徳教育の時間が復活しました。敗戦後智育・体育は戦前のようになりましたが、徳育が取り残され生徒間のいじめや目も当てられない非行少年が増ふえましたが、20年後には効果があらわれこの醜い姿は減少するでしょう。もっと早く道徳教育を復活しておけばよかったと思います。