冊封体制(さくほうたいせい) 

宗主国(外交関係において、従属国に対し主導権を持つ国家を言い、ここでは中国歴代王朝の君主)が天子と自称し、天命を受けて、自国一国のみならず、近隣諸国の長一族を属国として支配し、安全とその地位を担保することを本旨とする。

朝貢制度(ちょうこうせいど) 

宗主国(ここでは中国を指す)。中国の皇帝に対して、周辺諸国の(国王・長)が貢物(みつぎもの)を献上し、皇帝は貢物を上回る返礼品を持たせて帰国させ、中国とその皇帝の尊大さを誇示して見せる制度をいう。

ここで重要な理解は、冊封と朝貢は一対のセット行為ではないということである。

朝貢行為は礼節、商業の一端であり、冊封は武力行使同盟の性格を持つものである。そこを知り置かないと征韓論に対する理解が遠くなる。日本国(足利政権)は明国に朝貢はしたが(日明交易、朱印船貿易)、冊封体制に与したことはない。但し、明国側の解釈は、中国文献で確認は出来ていないとしている。

李氏朝鮮族は冊封・朝貢を同時に同意したが、日本国は朝貢(漢委(かんのわ)()国王(くにのおう)として礼節の意)は示したが、六三〇年、唐の時代に冊封関係を要求された。日本国朝廷はこの申し出を拒否している。これは「日出る国」の天子として、独立しており大和民族として対等であることを宣言していた。この点が、日本国と朝鮮民族の対応が異なった。

これが後世の双方の国家感が相違することになる。ここをしっかり押さえ理解しよう。