家が芸者置屋であったため女手は多い。夕方からのお座敷に出る支度から夜の時間は、やはり昔芸者をしていた祖母が面倒を見てくれていた。

置屋が忙しくなるのは午後の三時頃からだった。その頃になると、町内にある「たかの湯」と、隣町の「都湯」という二軒の銭湯の女湯は芸者たちで一杯になる。肩口から首まで塗った昨日の白粉を洗い流し、風呂代と別途に洗髪料を払って髪を洗う。身体はそれぞれが持参した糠袋やヘチマで洗う。置屋へ帰ってからは、同輩どうしで手伝いながら改めて白粉を塗る。

芸者が諸肌脱いで白粉を塗っているのを見た今年四歳になる三木小間物屋のセイちゃんは、太田町の稲積さんの境内で五月に開かれる植木市、「正の木さん」に毎年来る見世物小屋の「ろくろっ首」の看板でも見たのか、「ドクロッ首、ドクロッ首」と言って、女風呂で芸者の姿を見るたび怖がった。

(かつら)を使っている芸者は、置屋のおかあさんに手伝ってもらって仕度、日本髪を結い直すときは、町内の髪結い床に行く。賢治たち子どもは、髪結いと言いにくかったのか、ずっと「かみいさん」と呼んでいた。

母の置屋は「花富久」という屋号で、ここから出ている芸者は「花太郎」「花奴」「花喜久」「梅花」などの名前で検番に登録され、市内や近郊の料亭、料理屋からの予約が検番に入り、検番の差配で指定の時間にお座敷を務めるのである。

勿論人気のある芸者ほど忙しい。お馴染みさんからお座敷がかかれば、他の座敷の合間を縫って顔出ししなければならず、お座敷が別の料亭にも入れば人力車を飛ばさなければならない。同じ料亭で二つのお座敷が重なった場合、お馴染みさんで気心の知れたお客の座敷にまず上がり、一通りご機嫌を伺った後、あとは若い芸奴に任せて次の座敷に伺うのである。

勿論最初の座敷の花代は一本分付けてくれる。これにグジグジいう客は無粋な客とされ、芸者間での評判は下落する。逆に「粋な」遊び方を知っているお客は、お座敷遊びの最中でもそれとない気遣いをして、お招きしているお客さんには勿論のこと、芸者に対しても心配りをして、お座敷での「株」が上がるのである。