こうした中、1931(昭和6)年には、旧制中学校の英語の授業数が初めて減らされることになりました。

1881(明治14)年に中学校教則大綱で示されて以来週6~7時間だった英語の時数が、1学年から3学年までが5〜6時間、4学年から5学年は進学組が4~7時間で就職組は2~5時間に変更されたのです。

英語の授業の存廃をめぐる論争はその後も続き、なかなか出口が見えない状況にありましたが、1938(昭和13)年に再び藤村が『文藝春秋』3月号で「中学校英語科全廃論」を発表した際には、中国との戦時下という時流に乗って世論の支持を得ることになりました。

そして、その翌年の1939(昭和14)年には第2次世界大戦が勃発。敵国の言語となったことで、英語全廃論がさらなる高まりを見せ、高等師範学校での英語の授業は1940(昭和15)年くらいまで続けられたものの、打ち切られることになりました。

しかし、中学英語については徐々に授業数は減らされたものの、戦時下においても文部省は、全廃まで踏み切ることはしませんでした。

※本記事は、2022年2月刊行の書籍『話せる英語教育その方法 あなたは子や孫にどんな教育を望みますか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。