【前回の記事を読む】脳性麻痺の男の子「僕だけ体が動かない、立てない。何で?」

第1章 自身の源 ─思い出あふれる学生時代─

○生きる目的を見つけるための教訓 

「普通の子と変わりなく育ててくれた母に感謝する」

・体が思うように動かないことに葛藤を感じたこともありますが、普通の子どもとそれほど変わらない幼少期を過ごせた経験は大きいです。母に感謝!

【養護学校の爆笑王】

当時、養護学校自体の数が少なく、私が通っていた城山養護学校には三重県内の各地域から生徒が集まってきていました。それぞれの地域で学ぶことはなく、一ヵ所に集められた感じで、小学部、中学部、高等部の12年間一貫教育でした。

学校行事での思い出といえば、春と秋の遠足で、バスに乗って津市や松阪市などの公園に行きました。現地に着くと公園内を散歩したり、おやつを食べたりして、楽しく過ごしました。

なかでもすごく楽しみにしていたことは、手づくり弁当を外でみんなと食べることです。母親にお弁当のおかずに玉子焼き、エビフライ、から揚げなど好きなものを全部をリクエストしていたので特別感がありました。

社会見学では、地元の各企業などに工場見学に行きました。いつもおやつで食べていたスナック菓子がつくられる工程を見ることができたのはもちろんですが、見学後に、お土産としてお菓子をいただけたのが嬉しかったです。

秋の運動会は、全校生徒(小学部、中学部、高等部)が一斉に集まり、綱引き、大玉ころがし、リレー競争などをして、みんなで盛り上がりました。

初めてとなる小学1年生の運動会では、中学部、高等部のお兄さんやお姉さんと一緒に玉入れ競争ができて、嬉しかったことを覚えています。

春の運動会は、各学部で赤組、白組に分かれて得点を競い合いました。運動会のプログラムに沿って、校歌斉唱、ラジオ体操、徒競走、ダンスなどの競技をしました。リレー競争では、私は選抜メンバーだったので、選ばれたときはすごく嬉しかったです。

また養護学校には歩行会という行事もありました。これは競争ではなく、自分の記録に対して少しでも良くなることが目標でした。低学年の頃は、歩行器で歩くタイム、それ以降は手動車椅子での自走のタイムを測ります。きつかったけど、自分の記録を更新していくと嬉しかったですし、充実感もありました。

授業参観日は、親や祖母に授業風景を見に来てもらうのがちょっぴり恥ずかしかったです。小学高学年の頃から母が働いていたので、参観日や運動会に来られないときもあり、少し寂しく感じることもありましたが、仕方がないと納得していました。親が運動会に来られなかったときは、先生が一緒にお弁当を食べてくれたことがとても嬉しかったです。