3 諸法無我

『諸法無我』も歴史上、大きく誤解されてきた言葉です。パーリ語では、sabbe dhammā anattāと書きます。一切の事物は我ならざるものである、と訳されています。つまり、諸法非我です。

仏陀は『無常であり苦であるものをわたし、わたしのもの、わたしの本体と呼んでいいだろうか』という言葉を繰り返し言っています。明らかに『非我』という意味です。この『非我』を『無我』と受け取ってしまったために、我(アートマン)がない、という意味になってしまいました。

特に、後世になればなるほど、仏教のバラモン教に対する独自性、優位性が極端に強調されていきます。最古層の仏典『スッタニパータ』では、仏陀のことをバラモンとかヴェーダの達人とか呼んでいたのに、後世になればそのような呼び方は全くしなくなります。バラモン教の匂いのするものは徹底的に排除していったのです。

仏教は、バラモン教の教えを真っ向から反対する教えのように印象付けられていきました。『非我』を『無我』としてしまったために、アートマンがない、自己がない、主体がない、霊魂がない、死後の世界もない、輪廻転生もない、というように現代の仏教の一部はなっていきました。