【15日】

免疫グロブリン療法、2クール目が始まった。5日間、1日5本の点滴が続いた。人工呼吸器に送り込む酸素の量を徐々に減らし始めたが、私自身には息苦しさはなくても、機械が読み取る数字が低いとまた酸素を増やす、ここが正念場だ。

この日初めてリハビリでベッドの横に足を出して座った。スポンジを握ったり、足を曲げたり伸ばしたりした。

精神科医が診察に来た。後にせん妄の件だと知ったが、当時は精神科から来たのは知らなくて変な先生だなと思っていた。

「体調はどうですか?」

「調子はいいです」

「よく眠れましたか?」

「あまり」

「気分はどうですか?」

「悪くありません」

若い助手を2人連れた女医は、終始にこやかに質問をした。

「お大事に」

そう言って帰っていった。

この日からリハビリの自主練を始めた。

両下肢屈伸(寝たまま)。

両上肢挙上、指折り(10まで数えられるようになった)。

深夜、娘が廊下で話す声を聞く。せん妄は続いていた。

【16日】

心臓超音波、胸部、腹部検査

座位可能にまで、マヒが改善

膝立てや座位のリハビリが始まった。

「まず、座れなければ立てないのです」

言われてみればそうなのだが、今まではそんなことを考えてもみなかった。

娘が私の手にハンドクリームを塗ってくれようとして、その手が止まる。

「何かがボロボロ取れてくる」

お風呂に入っていないし、乾燥肌もあっただろう。看護師さんが拭いてくれていたのだけど、ちょっと恥ずかしかった。

この日嬉しいニュースが舞い込んだ。気管に入っている人工呼吸器が、1週間以内に外せそうだという。それに向けて、嚥下(飲み込み)の訓練も始まり、食事を口から食べることができる。この時点で私は要介護認定5の予定。

そのニュースに舞い上がりすぎ、私は勝手に退院が近いと思い込んだ。それが無理だとわかってイライラが爆発してしまい、自分で鼻のチューブを抜いてしまう暴挙に出た。周りも驚いていたが、自分で抜いたのに、そのあまりの長さに茫然とする。

私には鼻にチューブを通した時の記憶はなかった。鼻から胃腸に到達しているのだから長いのはあたりまえだが、見ると聞くとは大違いだ。家族と医師に説得され、再度チューブを入れたが、鼻の奥にチューブが通っていく気持ち悪さは想像を超えた。癇癪を起こして良いことはないのだ。

その夜、私は手を少し拘束されたが、私の「もうしない」という約束を信じてくれて、拘束を解いてくれた介護士の彼に感謝したい。

【前回の記事を読む】首から下が動かない…なぜ?難病ギランバレー症候群にかかった母の「心当たり」

※本記事は、2022年1月刊行の書籍『ある朝、突然手足が動かなくなった ギランバレー症候群闘病記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。