すばるの里

その女性は福島の震災復興老人施設に居た。彼は彼女の居る施設“すばるの里”の職員に居住者との関係を聞かれて甥だと名乗った。

施設のヘルパーは言った。「片岡さんの甥御さんですか? お若いですね」

「僕は親父が五十の時の子供なんです。親父は生きていたら今頃七十代後半になっていた筈です。片岡美保子は親父の妹ですよ。大変お世話になっています」

彼女は七十一歳で施設のヘルパーによると食事は自分で辛うじて摂れているが認知症になっており、他人との意思の疎通は困難だとのことだった。彼女の認知症は六十代後半から始まっており若年性のものである。だが体力はあり、気に入らない事があると暴れたり時にヘルパーを引っかいて怪我をさせたこともある。部屋は十八平米程の狭さでトイレはあるがキチネットや風呂はついていない。彼はドアを開けると車椅子に座り窓の方を向いている背中の丸い人影に声を掛けた。

「久しぶりですね。僕の事、分かりますか?」彼は心の中で付け加えた(――分かるわけないよな、何しろ二十五年振りだからな)。彼女は車椅子の向きをゆっくり変えて振り向いた。彼女の声はしわがれ、かすれて聞き取りにくかった。

「あんた誰? 今度来たお風呂の人?」案の定彼女は彼の事が分からないらしかった。「前のお風呂のヘルパーはだめだ、女はだめだと何度も言ったからあんたを寄こしたの?」

彼は自分はヘルパーではないと言ったが彼女には分からないらしかった。今から風呂に連れて行くのかと聞くので今日は風呂の日じゃないと調子を合わせる。だが彼女は風呂の件を二、三度繰り返して質問した。

「あんた誰?」彼女は繰り返した。彼女は薄暗い部屋の中で彼を見つめた。逆光で彼女の表情は読み取れない。「圭太郎? ひょっとして圭太郎?」

「僕は圭太郎じゃない。あんたも知っているはずだ。圭太郎は死んだ――それもとうの昔に」

老婆は再びしげしげと彼を眺めてつぶやいた。「やっぱりあんた、圭太郎だ。今頃来るなんて何しに来たのよ?」

「僕は圭太郎じゃないです。圭太郎の事は良く知らない、だから聞きに来たんだ。僕は圭太郎が死んだ時の事を何一つ知らない。教えて欲しい、圭太郎はどんな風に死んだんですか?」

「嘘だろう」老婆は強く言った。「金を取りに来たんだ。お前は泥棒だ。この家からあるものないもの全部かっさらって行く。今日も泥棒しに来たんだ」

「人聞きの悪いことを言わないでください」

「泥棒以外ここに来るはずがない。お前の探しているものはここにはないよ!」

彼はこの婆さんをどやしつけてやりたい気分をおさえるのに精いっぱいだった。

「お前は泥棒だ!」老婆はびっくりするような大きな声で「泥棒、泥棒!」と叫び立てた。ホームの廊下まで響くような恐ろしく大きな声だった。