さて、その旅先だが、榎本さんちから4キロくらい先にある「桑が原」である。その地は、昔は養蚕業や製糸業が盛んで、広大な桑畑もあったらしい。広さは東京ドームの30倍くらいもあるそうだ。現在は桑畑や工場はなく、地主の大邸宅や工場の跡地以外は農地や草地になっているそうだ。私有地だが、地主の厚意で草地は市民に開放されている。

桑が原の縁に沿って一直線の道路・通称「シルク道路」が走っている。榎本さんが週末にジョギングに行っている所だ。春には道路が桜の並木道となり、シーズン中は花見客でごったがえす桜の名所でもあるんだ。

旅に出かけたまま、帰って来れなくなった猫も多いと聞く。交通事故に遭ったり、迷って帰り道が分からなくなったり、新しい飼い主と出会うなど色々な理由があるんだろうな。

半年間の長い旅だが、俺は目的を果たして、必ず帰って来るぞ。見事に帰還して、俺の気概のあるところを、榎本さんに見せるんだ。そのためにも、帰路のこともしっかり考えた綿密な計画を立てなければならない。基になる情報は十分に持っている。

目的地に至るには難関が3つある。1つ目は私鉄の線路の踏切を渡らなくてはならないこと。2つ目は大通りを横切らなければならないことである。電車や車に轢かれたくはない。人間に混じって、一緒に踏切や横断歩道を渡るのは、目立ち過ぎるので、それはやめる。思案の結果、電車が止まり、車が余り通らない、深夜から早朝にかけて移動することにした。3つ目はシルク道路でジョギング中の榎本さんに、ばったり出会わないようにすることだ。榎本さんがジョギングするのは土曜日の午後2時から4時くらいと日時が決まっている。ならばその時間帯はどこか別の所で過ごせばいいのだ。綿密な計画を立てたお陰で、旅路はスムーズで、予定通り1か月後には目的地に着いた。

途中、大きなスーパーや薬局やコンビニがいくつかある街を通った。こんな賑やかな街は初めてだ。スーパーに入ってみようと試みたが、人の出入りが多くて、踏まれてしまいそうで怖くて近づけない。スーパーに入れれば、魚のコーナーの調理場に忍びこんで、刺身やアラなどをかっぱらって来ることができるのにと、無念で仕方ない。

スーパーの前の広場では、犬が繋がれて飼い主を待っている。猫を繋いでいる人はさすがにいない。そういう広場は憩いの場にもなっていて、飲食をした人の残飯などが散らばっていたり、ごみ箱に入っていたりする。俺はそれらを漁って空腹をしのぐこともできた。

山川商店のような駄菓子や日用品雑貨を売っている店は1軒もなかった。小売り店はなくコンビニばかりだ。コンビニはドアが閉まっているので、俺にとっては非常に不便だ。

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※本記事は、2021年11月刊行の書籍『おもしろうてやがて悲しき』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。