私の気持ちを見透かしたように玲子が「真、“ばしゃ山”の意味知ってる」と聞いてきた。私は“ばしゃ”とは、奄美に群生する芭蕉のこと。その昔、芭蕉の山を持っている島人は裕福だったが、裕福な家に美しくない娘が生まれ、嫁に行かせるために一山の“ばしゃ山”を持参金に付けたことから、“ばしゃ山”=不美人の意味だと知っていたが惚けた。

「知らないな。玲子、どういうこと? 教えて」

「“ばしゃ山”=不美人の意味なんだって。それで私を“ばしゃ山”に連れて来たの」

「違うよ。玲子は綺麗だから“ばしゃ山”即ち芭蕉の中に隠そうと思った」

この芭蕉という言葉を聞いて玲子が拗ねた。

「意味を知ってて、惚けて私を試した。そうでしょう」

勘のいい玲子に負けたと思い「スマン。俺の性格悪いところ出た。もうしないから許してくれ」と素直に謝った。小さなことだが、玲子に教えられた。そして、自分の非を素直に謝れたことに嬉しくなった。これも奄美の天に太陽、地にサトウキビ、人には黒糖焼酎の力だと感謝した。

ここで玲子が「もしも私に“ばしゃ山”があったら状況は変わっていたかな?」と空を見上げて言い、私は答えに困り無言だった。間合いの悪い時間が流れた。この時、私は『お前の優等生的な態度と潔癖症が……』と思ったがすぐに打ち消した。

さて、前の海岸には多くのカップルがいて玲子が、「この内、何組がゴールするんだろう」と言い、さらに、「私達より親しいカップルはいるんだろうか」とも言うので私が、「それは少ないんじゃないの」と言えば間髪を入れず「違うな。私はいないと思う。そうでしょう真」と確信するかのように玲子が言った。

ここで子供が、ガジュマルの木の上に行きたいというので道を譲ることに。

【前回の記事を読む】「もう一度、彼女と行きたい」神秘的な“奄美の森”での思い出

※本記事は、2022年2月刊行の書籍『20歳、奄美の夏物語』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。