健診業務へゼロからのスタート

健診センターへの構造変更を指示し終わるとすぐ、営業の職員募集に取り掛かった。

開業して5年目、1999年のことであった。募集して1~2週のうちに2名が訪れた。男性1名、女性1名であった。相前後して、荒巻和則という近くで遊技業を広く営む会社の社長の懐刀といわれた男がひょっこり訪ねてきて営業に入りたいという。初対面ではあったが私は会って、「何かあったな」と感じたと同時に、この男はいけると直感し即採用した。

私が3名の営業に命じたことは会社を訪問して、健診の実態と会社の考えを聞いて来いということであった。なんでもいいから健診関係の情報を少しでも多く集めたかった。

私の考えは、建物の完成までにはあと半年はかかる、その間に情報をもとに体制を整えようというものであった。

私の仕事の進め方は独特のものがある。ある目的を定めると自分で徹底的に考え、問題点を書き出し、この項目はプラス何点、あの項目はマイナス何点と点数化してその判断を予測するやり方である。7割以上がプラスであればゴーサインである。すべてが自前の価値判断であったが、いろいろな可能性を考えるうえで、役に立つと考えている。

通常は新しい組織を立ち上げるにはどこかのエキスパートを引き抜いて、それに任せるのが一番の近道であり、簡単である。私はあえてそれをしない。情報をもとに自分で考え、自分なりの姿をつくっていくところに妙味があると考えている。既存組織で育った人間の指導の下では既存の組織を越えることはできないとの思いもある。情報収集はそのための第一歩である。

そこから現体制を越えるには、現体制と対抗するには何が必要かということが引き出せるのである。人と同じことをしていては先がない。また、自分で考えての結果なら自分を納得させられるとの思いがある。当時医療をやっている者にとって健診程度なんだという考えもあった。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『心の赴くままに生きる 自由人として志高く生きた医師の奇跡の記録』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。