高熱を出したことを田所さんに連絡すると、その週末に都内の私の自宅まで車を飛ばして来てくれた。

会うのは数週間ぶりだろうか。いや、もしかすると何か月になるかもしれない。なかなか会えなかったことを愚痴っぽく呟いていると、田所さんは「里奈ちゃんが俺から離れた」と言う。

不動産業で働いている田所さんは都内と自宅の中間地点に私の家を借りることを提案してくれたが、私が断った。中学、高校、大学と自転車で十分程度の位置に住んでいた私は、なるべく会社から自宅までの距離は縮めていたかった。

田所さんの気持ちは有り難いけれど、中間地点だと家を出てから会社に着くまで一時間弱。公共機関を使うことが初めてなので私は遅刻せずに毎日通えるか自信がなかった。

介護が大変な田所さんは長く家を空けるわけにはいかない。私は仕事の疲労で、週末にわざわざ片道一時間半以上かけて田所さんの元へ行く気になれなかった。自分は忙しくて行かないのに、田所さんが滅多に来てくれないことに不満を示した私は田所さんの私への愛が消えたのだと思うようになっていた。

近くで暮らしていた時は何もかも順調だったことも、距離が少しできた途端に気持ちが通わなくなる。それが「介護のせい」だと言われても「介護」がどんな事をしてどう忙しいのかまったく理解できなかった。

「親父が夕飯を食べてくれないんだ」

「病気で食べれないの?」

「不味いつって食べないんだよ。文句ばっかりで……早く死んでくれないかな」

「そんな……、死ねはよくないよ」

「昨日カレー作ったんだけど、ちょっと野菜が固くなっちまって。電子レンジでチンしまくちゃったよ、あはは」」

笑ってお茶目に話す田所さんを見ると、そんなに大変ではないように思えた。それが余計に私の中で「介護のせいで会えない」を、消化しきれない理由になっていた。

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※本記事は、2021年10月刊行の書籍『拝啓、母さん父さん』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。