ナノハナ

♪『パプリカ』(Foorin)

『朧月夜』と『草枕』と『寂しき春』は、これまで歌ったり、読んだりした中で、菜の花のインパクトが強かったものである。

「菜の花畠に 入り日薄れ……」で始まる『朧月夜』は皆が知っている唱歌だ。子供の頃、学校で何度か歌った記憶がある。一番の最後に「におい淡し」とあるが、当時はどんな匂いかな、と思ったりはしなかった。先日畑で摘んだ菜の花は、うっすらと甘く薫っていた。盛花にして、蜜蜂のように陶然とした。

『朧月夜』は大正三年に小学校教諭だった高野辰之が作詞した。この歌の舞台となったのは、飯山市の菜の花畑と言われている。『草枕』は明治三十九年に三十九歳だった夏目漱石が発表した小説である。主人公の青年画家は、住みにくい世の中を芸術の力で打ち破ろうと考えた。彼は山を登る。詩や絵は心を豊かにする素晴らしいものだ、と考えながら。

菜の花が一面に見える。雲雀(ひばり)が絶え間なく鳴いている。大人になって、都心に住んで、この菜の花と雲雀の描写を読んだ時、伊那谷の風景を懐かしく思ったものだ。

詩「寂しき春」(『室生犀星詩集』福永武彦編、新潮文庫)で室生犀星は菜の花の咲く野を歩いて、満たされない心を吐露する。

一日もの言はず

野にいでて

あゆめば

菜種のはなは

波をつくりて

いまははや

しんにさびしいぞ

後半を引用したこの詩は、若き日に書かれたが、老境に入った人の境地とも取れる最後の行の口語調が、寂しさをリアルに伝えてくる。

詩を読んで、寂しさを共有した後に聴く曲は、全国の子供達がテレビの前で一緒に踊った『パプリカ』がいい。メロディーは明るく、優しく、フーリンの五人は歌が上手だ。「晴れた空に種を蒔く」との歌詞は、どう解釈したらよいだろうか。

広い空間に、だろうか。晴天の日に、という意味だろうか。あるいは、植物ではなく、「言葉」や「気持ち」の種と理解すべきかもしれない。フーリンの『パプリカ』のパフォーマンスを見ていて、思う。子供達がのびのびと育つ社会は、大人の寂しさを和らげる効果がありそうだと。

菜の花が津々浦々で美しい眺めを作っていると、テレビや新聞が伝えている。菜の花の種が空に蒔かれた言葉なら、書物が満ち満ちる世界になる。言葉を友人にする人には、寂しさ知らずの日々となる。