プロローグ

追悼会は案じていたよりも和気あいあいとした雰囲気で進行し松野は内心安堵していた。ズームを使った追悼会は出席者一同恐らく初めての体験だったに違いない。

オンラインの会の面白い所は他にもある。彼ら一人一人の背景にある部屋の様子、壁に掛かっている絵、本棚の蔵書、飼っている犬や猫の鳴き声、各人の個人的好みや日常が画面からにじみ出てくる。会社の会議室などではうかがい知ることのない一種のレクリエーションだ。

笑えるのはオンラインで自室の本棚が画面に映し出されるようになってからズーム映えのする背表紙の本の注文が増えたという話だ。松野が生前の斉田寛にインタビューを申し込んで快諾を得、その目黒の仕事場を訪ねたのは亡くなる三か月前のことだった。その家は昭和四十年代に建てられた木造の一軒家で家主は建て替えたがっていたのだが斉田が頑張っているのでそのままにして今日に至っていた。

彼は斉田の長い作家生活の中で物語創りの秘訣、とりわけ次なる作品への取り組みなどについて幾つか質問を用意して"寛山泊"を訪ねた。だが通されたのはどこかの寺院の塔頭(たっちゅう)か岩場の(ほこら)のような、斉田が若い頃に書いたヨーロッパを舞台にしたミステリーとはおよそ似つかない空間だった。松野がこの作家に持っていたイメージは見事にくつがえされた。

祠の主もどこか抹香臭(まっこうくさ)いと言えないこともなかった。斉田は彼の本の主人公の探偵から想像する壮健で闊達な人物像とは違って実際の年齢より老けて見えた。皮膚がかさかさしていて生気がなく、水気の抜けた鳥みたいだ。でも体は至って健康でどこも悪いところはないという。目はいいらしくて眼鏡は掛けず、大きな口を開けて笑う。五十代といえば作家としては脂の乗った年代だと言える。闊達で若々しい人物を想定してそれなりに身構えていた松野は少し拍子抜けしたのを今でもはっきり覚えている。