あるマラソンの練習で、村瀬がいつものように僕を抜いた。その日は特に負けたくなかった。僕は跳ね上がった心臓に鞭を打ち、村瀬の後ろにぴったりと着いた。村瀬のペースは一気に加速する。それでも僕は村瀬の後ろを離れたくなかった。

ラスト四百メートルになると僕の心拍は限界に達し、息をするのも苦しくなった。臀部から下肢にかけて強い疲労感と痺れがじわじわと伝わる。村瀬は力強い走りで遠くに行ってしまった。僕はみるみる置いていかれてしまった。もう村瀬は見えなかった。ようやくゴールをする頃には心臓は痛かった。息が苦しく崩れるように四つん這いになった。

「大丈夫?」

村瀬だった。僕は答える余裕もなく、弾む息で頷いた。

「ほら、座りな」

僕は言われるままあぐらをかき俯く。僕と村瀬は同じ距離を走ったはずなのに、村瀬の方が元気で呼吸も乱れていなかった。村瀬がしゃがみ込み僕の背中をさすった。村瀬の優しさが背中に伝わる。僕は、嬉しくて、どうしていいのかも分からずに固まった。その数分間は幸せな時間だった。

「横関、かなり無理してたでしょ? あたしの後ろで走ってる時、すごい息が上がってたよ」

「ほんと、死ぬかと思ったわ」

僕は複雑な気持ちで笑顔を作る。村瀬の大きな瞳に僕は吸い寄せられそうになった。

「途中、心配だったよ」

「マジで?」

「当たり前でしょ?」

大人びた同級生のまなざし。村瀬はどんどん魅力的になっていく。僕は村瀬から目を背けた。それでも村瀬は黙って僕の背中をさすり続けた。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『レインボー』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。