2 家族会の中で

当初私は、「早期発見や早期治療ができなくて自分を責めて……」など心地よい言葉の鎧を着て、本当の自分を見ようとしていませんでした。心の底の方では人のせいにし、周りとの違いに閉じこもり、意味のない繰り言に長くとらわれていました。

事実は、息子から私へと多くのSOSがあったのに、夫が言った「あいつはへこたれない」の言葉を信じたかったのです。母親のカンみたいな危機感を持ったのに、自分が病院へ連れて行かなかったのです。

「へこたれない」とは、言い換えれば「弱音を吐かない」ことでした。「弱音が吐けない」という意味も含みます。「あいつはへこたれない」の裏側に、「あいつは弱音を吐けない。自分から助けてと言えない」そんな二男がいたのです。私のせいだったのだと、家族会への参加が重なるにつれて気づいていきました。

でもストンと腑に落ちたのは、音楽を捨てた二男が四年目の夏に初めて作った歌詞の言葉からです。そのことは次のところで書きます。

家族会に参加していると、そんな私の泥沼が少しずつ澄んでいきました。澄んでくると本当の部分と泥の部分が少しずつ分かれて見えてきます。本来持っている自分が是とする部分にも気が付きます。笑顔で他者を気遣いながら話される皆さんには、多くの難題を抱えながら、何か大きなものに委ねて歩く明るさがありました。

「大きなものってあるのだろうか?」

何かは分からないけれど、それに心を預けようと思い始めました。

 

家族会で年二回持たれるSST(社会生活技能訓練)という講座は、実践的です。相手と良い関係が結べるように、相手が動き易いように、自分の言動を見直します。目的に近づくために、今できそうな小さな目標を置きます。

「やって見せ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かぬ」

と、相手の思いを大事にしながら自分も伴走するのです。講師として来てくださる同朋大学の吉田みゆき先生は、「側にいる人がホッとするような人になりたい」と言われましたが、まさにそのような方です。

以前、緊張しながら大学での講座に初参加したときも、ゆっくりと話しかけながら課題を見えやすくしてくれました。相手の言うことを否定せずにまず認めてから、先の金言のように場を具体化していざなってくれます。いいところを褒めてくださるので、私もやってみようと心が動きます。

家族会も温かい雰囲気です。誰かの問題を自分ならば、と知恵を出し合いますが判断は個人です。介護者である家族も、患者と同様に理解されて次の一歩が出ます。そんなピアサポートの場で私も救われ、病気について当事者側から見る目を知りました。このような会を創設してくださった方々に感謝します。

 
 
※本記事は、2021年12月刊行の書籍『なかむら夕陽日報【文庫改訂版】』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。