「原爆はこの戦争には間に合わない」と伝えたハイゼンベルク

ハイゼンベルクは、これより前に奇妙な行動をしていました。一九四一年九月一五日、ベルリンから列車でコペンハーゲンに着き、ドイツ占領下のデンマークにいた(亡命する前の)ニールス・ボーアを訪ねました。

この会見で、ハイゼンベルクは、「科学者たちが技術的にも財政的にも困難だと言うので、原爆はこの戦争には間に合わない」と伝え、あるメモを手渡しました。

ボーアはそのメモをアメリカのハンス・ベーテに渡しました。ベーテによりますと、それは稚拙な原子炉の絵でした。

ハンス・ベーテはハイゼンベルクもドイツの原子力技術もこの程度だった(低かった)と言い続けましたが、戦後、このようなことから、ハイゼンベルクは、原爆開発を意図的に遅延させた、もしくはアメリカに情報をもらしたとの(ドイツはこの程度だと、だからアメリカもやめろと)疑いもあるとも言われましたが、その真意についても、彼はとうとう語りませんでした。

ただ、彼は最初からドイツは早く敗れることを確信していたこと、核研究はまったく意味がないと言えば、彼の多くの後輩研究者が無用の長物として戦場に送られる恐れがあったこと、逆に積極的に協力すればひよっとするとひよっとする恐れがあり、望ましきは(長くは続かないはずの)ヒトラー時代をドイツ物理学界を何とか温存しつつ、やりすごしたいと思っていた(そのためにドイツにとどまった)と言われています。

戦後になっても内外に多くの関係者(それは原爆開発推進、反対の両方)が生きていたので彼はいっさい発言しなかったのだとも言われました。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『人類はこうして核兵器を廃絶できる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。