列強による中国利権獲得競争

日清戦争の結果、清国が敗北した相手はこれまでのようなヨーロッパ諸国ではなく、同じ東アジアの小国日本でした。これは清国の弱体ぶりをあらためて世界に示すことになりました。その結果、アヘン戦争以来、動揺し続けていた清国の朝貢体制は決定的に崩壊しました。

それまで周辺の朝貢国を標的としていたヨーロッパ列強の矛先は、再び中国そのものに向けられ、帝国主義的列強の中国分割競争が展開されることになりました。

その帝国主義的列強の中国分割競争は、①租借地(中国の主権の及ばない外国の領土)の獲得や勢力範囲の設定、②鉄道敷設権・鉱山資源採掘権・関税特権など各種の利権の獲得、③各種の資本投下などの形をとって進められました。

列強はこれらの手段を総合化して、広い中国をそれぞれの租借地を根拠地にして分割し、鉄道を敷き、鉱山資源を開発して、その地域の不割譲を中国に約束させる形で勢力範囲を設定・拡大していきました。

たとえば、ロシアは露清秘密同盟条約(一八九六年六月)に基づいて東清鉄道の敷設権と経営権を得ました。一八九八年三月にドイツは、ドイツ人宣教師殺害事件を契機に結んだ膠州(こうしゅう)(わん)租借に関する条約によって膠州湾を九九年の期限付きで租借しました。また、ロシアが旅順、大連を二五年の期限付きで租借すると、それに対抗してイギリスも威海衛を租借しました。

フランスは広州湾を租借しましたが、それに対抗してイギリスは一八九八年六月、香港地域拡張に関する条約を結び、新たに九龍半島(新界)と周辺諸島を九九年の期限付きで租借しました。すでに述べましたようにイギリスはアヘン戦争で香港島を、ついで第二次アヘン戦争で九龍を割譲させていましたが、ここに九龍半島(新界)と周辺諸島を租借することにより、イギリス領香港植民地は完成しました。

鉄道については、ドイツは膠済(こうさい)(せん)、イギリスは()(ねい)(せん)、広九線など、フランスは(てん)(えつ)(せん)、ベルギー銀行団は京漢線と、それぞれの敷設権を獲得しました。その上で、列強は自国の勢力圏内では他国に権益を譲渡しないことを清国に承認させました。

こうした列強の動きに対して、アメリカは少し出遅れましたが、一八九八年の米西戦争に勝ってスペインからフィリピンの領有権を獲得すると、一八九九年九月に国務長官ジョン・ヘイがいわゆる門戸開放宣言を発して「機会均等」を唱えました。

それはアメリカも中国にも出ていくので、その機会は均等に開放されるべきであるとヨーロッパ諸国や日本を牽制し、アメリカも粤漢(えつかん)(せん)を手に入れました。

まさに世紀の変わり目に欧米日列強の弱肉強食の帝国主義的な清国分割が始まり、中国の半植民地化が進んでいきました。

※本記事は、2022年2月刊行の書籍『日米中一五〇年の歴史 日本は米中冷戦を防ぐために何をすべきか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。