8章 大阪女学院短期大学時代

車イスで心斎橋爆走

ある日、友人たちと飲茶を食べに行った。その後、アメリカ村でぶらぶらしていると、予想外にスコールのような雨が降ってきた。雨宿りしていたが、雨は止まなかった。

ひとりの友人が、「みんな、行くしかないでー」と叫んだ。他の友人たちも、「そうやなー」と同意した。私たちは傘を持っていなかった。そして、友人たちが「カンちゃん、カンナ、しっかり車いすに摑まっといてやぁ」と叫んで、アメリカ村から心斎橋のデパートまでマッハで走り出した。

びじょびじょに濡れながら、わぁーきゃー言いながらひたすら走った。私も心で走っていた。みんなと一緒に走っていた。

クーラーの効いたデパートに着き、「寒いっ」と言いながらハンカチで体を拭いた。私たちは「うちらアホすぎるやろ」と言い合って爆笑が止まらなかった。私は友人たちと優等生じゃないアホなことをしたのが楽しくて、心が舞い上がりっ放しだった。時々、思い出すアホな思い出のひとつになっている。

礼拝の司会

女学院はキリスト系の学校だった。我が校は月曜日から土曜日まで毎日午前中にチャペルで礼拝を行っていた。ボランティアの生徒が礼拝の司会をしていた。私はクリスチャンではないが、二回生の時に友人や他の生徒たちと交代で司会をしていた。

礼拝の時間に間に合うように授業が終わったらすぐに友人たちが私の車いすを押して、チャペルまで爆走してくれていた。「カンナ、もう階段で行くでー」と、ある友人は車いすを押しながら言った。私は「ちゃうやんちゃうやん、階段ムリやってー」と。

その友人は、はぁ!? って表情をしたと思ったら崩れ落ちて笑い出した。私もつられて笑い転げ「自分、アホすぎるやろぉ」って。

友情は盲目だ。その日の礼拝は二人とも欠席扱いだった。司会は私の代わりに他の生徒がピンチヒッターで行ってくれていた。

いつも友人たちと先生方が私を車いすごと担ぎ上げて、チャペルの舞台まで上げてくれていた。私たち司会者は舞台の真ん中に立ち(私の場合は座り)、みんなとその日の讃美歌を歌い聖書を読んだ。今思えば、私の出しゃばりの性格が思いきり出ていた。

※本記事は、2018年9月刊行の書籍『車イスの私がアメリカで医療ソーシャルワーカーになった理由』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。